凡例

・以下の記録は、2011年12月08日から、2012年1月13日までのTwitterでの呟きを主題別にまとめたものの一つ、「震災と支援をめぐる雑感」である。
・収録した呟きは、著者本人の独白形式のみを採り、RTとそれへのコメント、@付きでやりとりをした会話は除外した。
・各呟きは、ほぼ時系列に沿って提示している。("2011.07.17. at 15:23:10" で呟いた日付と時間を指示する。)

・その時々の印象を呟いたものがほとんどであるので、後に諸状況の変化が生じて事実とずれてしまった記載も認められるが、その時点での記録として収録している。
・収録にあたっては、誤字脱字を訂正し、必要最低限の補足修正に留めている。
・「※」を付して、呟きの背景を注記した箇所もある。
・一連の内容がまとまっている場合は、適宜、小見出しを付けた。


本文


支援の様式と機能について雑感


(素人発言です)支援形式を考えると、「個人→個人」とイメージするのがまずいのかな。「個人→社会(仲介団体)→個人」として間に社会をかませて、「社会に正常に参加できない状態の人をケアする」という観点から支援を考えると、今起こっているような支援トラブルはかなり解消するのではないかな。 (2011.12.08. at 21:17:23)


「個人の幸福」だけではなく、「社会の機能維持」をも目標に掲げる支援活動の必要性。個人の不具合は社会の機能不全をもたらす。だから支援をするという発想。日本のボランティア風土にはこの意識が希薄なのではないか。 (2011.12.09. at 07:16:21)


「社会機能維持」のための支援という発想は、OECDのDeSeCoプロジェクトの目標「個人の成功と良好に機能する社会の達成」がヒント。このプロジェクトは本来教育政策関連のものだが、教育を支援に置き換えてみれば良いかも、というのがこの発想。 (2011.12.09. at 07:23:49)


長期継続支援を維持するためにも、そういった支援の必要性を訴えるためにも、社会・公共性を伴った視点は不可欠だと思う。情に訴えるだけではとても続かない。だから、社会的責任を標榜する支援仲介団体が求められると考える。 (2011.12.09. at 07:33:02)

   支援の様式と機能について雑感(了)


震災直後からたくさん言われて、無意識の内に自分も使っていたフレーズ「東北人は我慢強いから…」。よくよく考え直せば、これは長い歴史的経験から、「待ったところで誰も助けてくれないから諦めた」という側面もありそうな気がしている。ひねくれた印象かな。 (2011.12.09. at 09:21:01)


東北は日本のごみすて場かよ、おいおい(苦笑) (2011.12.09. at 09:26:19)


正月三が日ぐらい、静かに勝手にさせてほしいわなあ (2011.12.09. at 12:40:06)


被災地が、あまりにも広すぎる (2011.12.10. at 06:47:40)


9ヶ月目の朝。冬の寒さに身を切られ、いつにない虚無感に包まれる年の瀬。 (2011.12.11. at 07:07:45)


雇用の有無が、あらためて被災地に重くのしかかる課題であることを忘れずに。失業保険の切れた後の対処。せめて、子供のいる世帯には、教育費の無償化・奨学金枠の拡大で、家計負担を減らせないものか。 (2011.12.11. at 07:14:03)


宮城県中央部の場合、避難先と職を求めて仙台周辺に若年人口が集中していく傾向が強まっていくのじゃないかなあ。年度末にかけて。 (2011.12.11. at 07:25:21)


支援の形、様々。人の内面(メンタル)を、人の外面(生活)を、人と人の繋がり(共同体)を、人の活動(労働・教育)を、支援する多様さ。そして文化への支援も。支援は、それぞれのゴールと限界を忘れずに。 (2011.12.11. at 07:33:07)


弱小学会の事務局を引き受けていることが、なんということはない、ボランティアじゃないかと、今さら気が付いた。自分が好きだからやり、会員に押し付けもせず、本業の成果以外何も求めないし、後任が現れれば譲ればいい。被災地の支援も、態度は同じなんだろうな。 (2011.12.11. at 08:06:20)


学会中。2時台に時間がとれないので、今、心の中で祈ります。 (2011.12.11. at 13:46:08)


「生き残れて良かった」という思いが、「生き延びることは苦痛だ」という思いに逆転してしまう非情。これが、人間というものなのか… (2011.12.12. at 00:31:14)


金光図書館にて


岡山出張から、帰りの時間に余裕があったので、金光図書館に寄って、金光館長先生と司書の金光さんにご挨拶してきた。2年ぶりかな。帰り際、震災が話題になり、金光教と金光図書館の支援活動についてお聞きした。石巻と気仙沼を中心に活動され、図書発送など、現地にも何度か「お忍び」で行かれたとのこと。 (2011.12.13. at 16:31:12)


この金光図書館には和算家・小野光右衛門の資料があるので私は何度か調査したのだが、一般図書の特徴的なコレクションとしては、戦後まもなくから一貫して児童書と女性問題専門書を集めてきたこと。金光司書いわく、「うちは女子供のための図書館なのよ」と。 (2011.12.13. at 16:38:14)


金光教では被災地教会を拠点とし、継続的にボラと支援物資を投入してきた。気仙沼の仮設に図書も発送したとのこと。自分も被災地出身であることを告げ、僭越ながらお礼申し上げた。ぜひこれからもご協力をということで、一も二もなく、こちらからもお願いしました。和算研究からの不思議なご縁に感謝。 (2011.12.13. at 16:47:16)


世の中、クリスマスムードか。西日本はしっかり楽しんでくだされい。明るい日本を今こそ。 (2011.12.13. at 18:37:24)

   金光図書館にて(了)


仙台の冬


この年末の時期、普通の業務をこなすだけでも難しい一般人が、被災地ボラに参加できるかどうかは相当の調整が必要なはず。それだけに、マンパワーを有効に活かすためにも、ボラの業務内容の精査は求められるし、不要不急の仕事は後にする判断もしなければなるまい。 (2011.12.17. at 08:14:06)


仙台周辺は例年、東北で一番暖かい冬になる地域なので、東北人の中でも仙台人は一番根性無しな気がします。私だけを例にして一般化してみました。 (2011.12.17. at 10:13:45)


仙台近郊の冬の甘さは、他の東北豪雪地帯からみれば「ふざけるな!」というレベル。膝上積雪となる日は年に数回。(子供の頃は雪だるまやかまくらを作るのがあこがれ…)日中最高気温氷点下になることもまれ。大変といえば、強風が多いことぐらい?これじゃ、一般的な東北の冬のイメージとは違うよね。 (2011.12.17. at 10:23:40)


冬もダメなら、夏もダメな仙台人。7月の最高気温が札幌よりも低い日すらありますし。そう、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」で言われてることは、仙台人にとっては、究極の努力目標なんです。 (2011.12.17. at 10:42:40)


いえ、冬の寒さを話題にして何が言いたかったのかというと、東北の冬を仙台基準で見るととんでもないことになる、ということです。関東以南からいらっしゃるボラのみなさん、仙台程度で寒い寒いと言ってたら、他の東北での冬作業は無理。安全と保温には十分注意してください。 (2011.12.17. at 10:54:56)

   仙台の冬(了)


これだけ災害の多い国なのに、災害時支援の理論的枠組みが脆弱というのもお寒い状況なのか。そもそも、平時支援の枠組みも不十分であれば、それも致し方ない。単なる体験記、実践記だけが大手を振っているようでは、それこそ「想定外」を想定することすらできないのではないか。 (2011.12.17. at 17:09:04)


だから、こういう方面の研究をされている方たちに期待をしているという事なんです。 (2011.12.17. at 17:10:42)


どんな問題状況でもそうだけれど、対処すべき案件が多くなればなるほど、対応法は個別化し、特殊化(専門化)していくもの。一方で、問題状況そのものに対する総合的理解も絶対に必要。だから、専門家をつなぐコーディネーター、ネットワークが必要になるわけ。被災地の状況が、今まさにこれです。 (2011.12.17. at 17:20:20)


震災の記録について


明治29年の三陸の大津波から、今年の津波までの間、災害復興の街作りの経過を追跡しておく必要がありそうだな。。。 特に、明治29年の津波の時の沿岸部の復旧が気になる。なぜ津波の浸水地域に再び集落が形成されたのか。。。 (2011.12.17. at 18:44:51)


明治29年の浸水地域への集落建設の問題は、2004年のインドネシアの津波の時と同じ構造の問題かもしれない。当時作成された宮城県編資料を読み解かねばならないが、かなり古い文体と語彙で書かれていた記憶がある。宮城県図書館でコピーして、今の文体に直して公開しないと読みにくいかも。。。 (2011.12.17. at 18:49:42)


これから、震災の記録のアーカイブを作っていかなければならないけど、どんなモデルが必要かな。。。 中国清華大の張さんたちが立ち上げた、殷墟の発掘品をデータベース化するシステム、e-Archeologyあたりが参考になりそう。。 (2011.12.17. at 20:36:45)


何を記録・資料として残すかという問題は、常にアーキビストや歴史家の悩み。大きな物は現場の遺跡から、小さな物は津波で流された生活用品。文字として見える文書に、文字としては見えない被災者の証言、ツイッターの呟き。その時代が切り取る断片を、いかにして後世にも意味ある物として伝えるか。 (2011.12.17. at 20:45:44)


震災の記録を残す作業は、もちろん現代史の課題として既にたくさんの方が取り組み始めていると思う。災害の記録は、ともすると悲惨さや被害の甚大さを強調する嫌いがあったと感じているが、今後は、発災から被害状況、救援、復旧、復興までの流れを総合的に見通せるような視点が必要だと切に思う。 (2011.12.17. at 20:54:49)


震災の体験談を語っていただく方とその証言を指して安易に「語り部」や「民話」と一括する風潮に違和感。多少言葉は固くなっても、証言・記録・体験談などを使って欲しい。「民話」だと記憶の風化を助長してしまうような気がする。言葉の親しみやすさと伝えるべき内容の重大さは別次元の話。 (2011.12.18. at 10:08:53)


東京で震災が起きたら、その証言のことを「民話」と呼ぶだろうか? (2011.12.18. at 10:13:11)

   震災の記録について(了)


何でもいいけど、被災地支援のために即売会や販売会で売り子になったら、営業意識出さないとダメだよね。通行人に素通りされてくのを見て、「震災の記憶が風化されてく。。。」と愚痴るのは筋違い。自分の営業スキルを上げることを考えないと。これは、実体験からの結論です。 (2011.12.18. at 17:53:35)


こういう状況になってしまうと、あれも読んでおけばよかった、これも勉強しておけばよかった、となるわけだが、その時々の限界を今さら自己否定しても仕方ない。自分に欠けているものを、どれだけ他人様から教えていただくかが大事になるのだろう、これからは。 (2011.12.19. at 01:43:23)


オウム真理教との対比が何かと各方面で話題になっているが、「友達の友達」ぐらいの関係者が逮捕されているその世代の者としては複雑な心境。カルト集団に共通な面もあれば、全く無関係な面もある。いまだ、カルト的な集団との対峙の仕方が社会的に解決されていないんだな、と思う。 (2011.12.19. at 07:22:07)


そうか。他人の困りごとを何とかしたいと思って立ち上げた組織が、自分自身の困りごとを抱えてしまうようになってしまうというのは、不可抗力の事故などに由来しているのでなければ、制度設計の段階で間違えてしまってるということなんだな。 (2011.12.19. at 08:23:07)


今年何度目かの同じつぶやき。「大ニュースの陰に隠れて、重大発表をさらりと流す奴に注意」 (2011.12.19. at 13:28:50)


江戸期の豪商が記した火事の事後処理の史料を見たことがある。見舞としてもらった物品が手拭い、タクワンの一本まで几帳面に記されている。小まめだなあ、と思ったが、いや、これはお返しの時に絶対必要なデータだ、と気付いた。もらった品物に相応しいお返し。この気質が現代まで?と思えた。 (2011.12.20. at 08:30:00)


近世の生活で、互助の精神はかなり徹底されていたが、それは無償の物資提供ではない。貰った物に対して、次の災害時に見合った物を送り返す。家の格や経済力などが、そこには如実に反映される。このような災害時の贈答文化意識が、地域社会に残っているとしたら、ボラの実践にも注意が必要かも。 (2011.12.20. at 08:38:52)


やっぱり、ボランティアの日本的な起源って、「義民」じゃないの? (2011.12.20. at 21:10:16)


失業者がボランティアって、そりゃ変だよなあ。人の心配するより、まず自分の生活何とかしろよ。 (2011.12.21. at 00:56:00)


今取組んでる本。遠藤薫編著『大震災後の社会学』(講談社現代新書2136、2011年12月、税別800円)、伊藤・奥野・他編『東日本大震災復興への提言 持続可能な経済社会の構築』(東大出版会、2011年6月、税別1800円)前者は読了。後者はこれから。 (2011.12.22. at 11:34:07)


出張やら何やらで、しばらく家族と話をしていなかったので最近知ったのだが、明日から一泊二日で、小5の息子が宮古にボラに行く。(^-^; もちろん学校単位の募集で、教員・看護士さんがついていく。 (2011.12.22. at 23:49:17)


息子のボラツアーは、慶応の学生諸君が企画してくれたもの。計画説明書を見る限り、うちのガキが行っても被災地にご迷惑はかけないだろうと判断。ただ、くどいほど、はしゃがないこと、写真でVサインはするなと注意した。まだ被災地を見せていなかったので、子供自身の思いで見るのが良いとも思った。 (2011.12.23. at 00:02:15)


息子のボラツアーは、学年から7名ほど、志願していくらしい。まあ、そんなところだろうな。 (2011.12.23. at 00:27:17)


おはようございます。うちのガキども、北に向かいました。もし何か粗相がありましたら、遠慮なくボラメンバー含めて注意・ご指導をお願いいたします。被災地のみなさま m(__)m (2011.12.23. at 09:33:37)


飲んでた店で流していたテレビで、多賀城市内の津波映像が映されていた。産業道路、これは逃げられないよなあ、とあらためて見入っていた。。。 実家も偶然、津波を免れたんだなあ、と再確認。 (2011.12.23. at 21:49:17)


さて、帰るかな。息子もボラツアー(そんな大層なものじゃないけど)から帰ってきたようだし。たまには何もしないクリスマスもいいだろう。 (2011.12.24. at 23:40:03)


ここまで地元から反発食らって、やってくるパンダは初めてじゃないのかな。。。 少なくとも私のTL上では (2011.12.26. at 18:26:46)


あれだけ人気者のパンダですら、来仙を拒絶される雰囲気があるのだから、今自分がやっている歴史研究に国費を投じることなど復興の無駄だ! と言われないように、気を引き締めて仕事をしなければならないと切に思う。 (2011.12.26. at 19:46:30)


貝塚以来、人様のいらなくなった物を拝見して仕事にしているのが、考古学者と歴史学者なんです。でも放射性廃棄物は遠慮いたします。将来、そんな物を掘り当てたりしないように世代間教育も必要ですね。千年単位で。 (^-^; (2011.12.27. at 08:25:46)


鳴瀬で気温3℃。多賀城高橋地区の津波を被った水田を目視したが、やはり水の残り具合が明らかに違っていた。母校・多賀城二中脇の瓦礫置き場は、ほぼ、残土の山だけになっていた。 (2011.12.28. at 10:43:08)


年末年の瀬の仙塩地区を走っていると、子供の頃に親父に連れられて、お得意先にお歳暮のカレンダーを配っていたことを思い出すなあ。 (2011.12.28. at 10:46:45)


東京にいると「支援」の言葉だけに振り回されてるけど、育った町に戻れば、普段の生活のついでにお歳暮を回していくような感覚で動いている。肩肘張らず、普通の生活の中で誰かをサポートする、そんな気持ちでいいと思う、特に被災地出身者は。そしてそれが普通の生活を戻すための近道だろうなあ。 (2011.12.28. at 10:54:10)


震災後、宮城の沿岸部を何度か走ったが、地形と人口の集密度の違いで、こんなにも被害の様子が変わるのかと訪れる度に考えさせられた。砂浜平野部(団地/商店街/工場群)・リアス式海岸(湾の内と外/低地と高地)に起因する相違は少なくとも認められる。常にこの相違は意識しておかねばなるまい。 (2011.12.29. at 10:06:44)


昨日、牡鹿を走っていて見かけた、地域復興の思いを込めた看板に、「海は産み」とあった。いいフレーズだなあ。 (2011.12.29. at 10:51:27)


一個体の生物として生きる人間である以上に、社会・共同体に組み込まれてしか生きていけない人間の姿を過酷な形で見せつけられた一年であったように思う。 (2011.12.29. at 11:37:44)


今年の7月に木祖村の道の駅で購入した本を、今、ぱらぱらとめくっている。長野県林業後継者対策協議会編『山菜の栽培と村おこし 信州山菜の風土と技術』(川辺書林、2006年)地域の取り組みの事例がふんだんに記されていて、参考になる。東北の山村でも適用可能なヒントがあると思った。いずれ。 (2011.12.29. at 16:27:23)


図らずも、東北の春夏秋冬を通覧した一年であった。 (2011.12.29. at 21:38:16)


30年に一度の頻度で地震や津波が襲う地域ならば、それを織込んだ復興計画・事業計画・ライフプランニングが必要なんだろうなあ。永続的な耐久性を求めず、壊れることを前提としたシステムに見合ったリソース配分とセキュリティーネットの構築が鍵になるかな。 (2011.12.30. at 07:19:09)


セキュリティーネット?セーフティーネット?語感としては後者の方が的確か。復興計画の場合。 (2011.12.30. at 07:39:55)


三陸沿岸の地理的条件を考えると、そこにある集落は「漁村」ではなく、「漁山村」と言った方がよいように思う。ただ、東北地方は西日本に比べて、私有林よりも国有林の比率が高いんだよな。。。土地利用についてはそこがネックになるかな。 (2011.12.30. at 07:44:11)


理由なく他人を差別しておく心を宿しながら、美しい心について御託を述べられてもなあ。。。 (2011.12.30. at 08:04:25)


復興を考えていくうえでの「分散と集中」のバランス。地域に流れ込む「外貨」を稼ぐためには、主力産業へのリソースの集中。次に来る自然災害によるシステム崩壊に備えた、多方面へのリソースの分散。そういうイメージかな。 (2011.12.30. at 08:13:04)


オウム真理教事件や阪神・淡路大震災の時もそうだったけど、年末にドーンと特番を立てて振り返ってみて、お正月からはすっかり気分も仕切り直し、という番組構成になると思うんだな、今年の震災についても。 (2011.12.30. at 22:18:54)


この数年、テレビは見ていなかった。自分が出演した番組ですら見ていない。さすがに震災直後の一週間はテレビの前に座っていたが、耐えきれずにツイッターを始めたという経緯があったことを、思い出した。。。 (2011.12.30. at 23:53:26)


日本の国家予算にせよ、自治体の予算にせよ、年度をまたいでの執行は困難で、様々な領域でその硬直性が指摘され、弾力的運用への改善が叫ばれている。一方、我が家の大掃除は、年度を跨ぐ実践をいち早く決定し、諸方への参考事例を提供している。 (2011.12.31. at 12:13:26)


私もそうだが、震災直後からツイッターを始めた人間にとって、今日はこのメディアを使う最初の年越しとなる。今年、旧知の人との思わぬ再会があり、新しい繋がりもたくさんできた。感謝と共に、震災での犠牲者へのご冥福と、復興途上にある皆さんへの心配りを忘れぬようにしたいと思う、来年への抱負。 (2011.12.31. at 14:39:10)


思いを新たにすることは、忘れることではない。 (2011.12.31. at 17:01:10)


再生は、思い出を糧にして (2011.12.31. at 17:34:54)


正月読書録


フォロワー(@kei0441さん)に教えて頂き、読み始めた本、宮地尚子『震災トラウマと復興ストレス』(岩波ブックレット、2011年8月)を読了。被災者・支援者の今後を考えていく上での必読書だと思う。現場の様相が著者の予想通りに展開していることがすごい。。。 (2012.01.01. at 20:25:05)


まだ読んでいなかったのか?と怒られそうだが、永松伸吾先生(@shingon72)の『キャッシュ・フォー・ワーク』(岩波ブックレット、2011年9月)を読了。CFWの歴史は示唆的。CFWの撤退・縮小を織込む議論の健全さに共感。「つなぐ」CFWと「みたす」CFWの提案にも期待。 (2012.01.02. at 08:41:36)


伊藤・奥野他編『東日本大震災復興への提言 持続可能な経済社会の構築』(東大出版会、11年6月)読了。経済学、都市計画他、50名による緊急提言集。震災直後出版であることを忘れずに読まねばならないし、その予測の当否は問題ではない。各提言を今一度現在の文脈に照らすと非常に有益である。 (2012.01.02. at 21:09:14)


この提言集の著者の一人、安藤浩一氏は懐かしい名前。同じ寮の一つ上の先輩だった。マクロ経済をやってたのは知ってたけど、まさかここで名前を見るとは。そういえば、安藤さんと同じ学年で同じ寮にいたSJさんは、気仙沼出身で、市の復興に奔走されている。震災で不思議な再会が続くなあ。。。 (2012.01.02. at 21:16:01)


この提言集、経済周辺の執筆者で固められているので、普段、そちらには縁遠い自分にとっては勉強になった。当然だが、通常の経済行為には該当しないボランティアや支援がほとんど話題に上っていないのは、ハッとさせられた。それにしても宇沢弘文先生はすごいですね。あちこちの章で引用されまくり。 (2012.01.02. at 21:24:20)


中原一歩『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書、2011年10月)読了。石巻専修大を拠点としたボラの協議会の活動を、ピースボートスタッフに密着取材したレポート。まあ、知っている人も出ていたので想像はしやすかったが。。→ (2012.01.03. at 00:42:54)


「石巻モデル」→行政・ボラ・自衛隊の連携を可能にした石巻モデルは、果たして災害時救援体制の汎用モデルとなりえるかいなか?石巻は様々な点で、偶然が作用していたように思う。これをいかにして、モデル化するかはボラ理論の作業かな?それから、→ (2012.01.03. at 00:45:47)


「石巻モデル」→ボラに密着したので仕方ないが、被災者の視点、ボラを受けた側の叙述が手薄かな。どうしても取材者は、ボラの側から彼岸にいる被災者を眺めるような筆致で描きがち。バランスをとるためにも、被災地発の住民立ち上げボラの情報は重要だと思う。→ (2012.01.03. at 00:50:57)


「石巻モデル」→多分、色々と書けない事もあったんだろうなあ、と思います。旧石巻市街と、広大なそれ以外の地域(合併前の自治体)の間の支援格差など。たとえ石巻モデルでも、カバーできないほど石巻市が広すぎた現実。。。→ (2012.01.03. at 00:56:48)


「石巻モデル」→ピースボートは方針として、支援内容を無制限に拡大せず、撤収時期を見計らっていた。これは大事だと思う。住民の自立を促せるし、小回りの利く一部だけ残して、要望の多様化にも対処できる。これは見習うべき。 (2012.01.03. at 01:02:59)


中村・寺崎編『東日本大震災復興への地域戦略』(エネルギーフォーラム新書、2011年10月)読了。編者は日本政策投資銀行地域振興グループスタッフ。昨年9月頃までの災害情報に基づく手堅い概況と提言。地域振興、自治体財政、経済特区、復興まちづくり会社に関心のある方にはタイムリーな一冊。 (2012.01.03. at 16:24:59)


(地域戦略)第2章「分野別・エリア別の被災状況と復興への地域戦略」は岩・宮・福・茨4県のインフラ、住宅、医療、製造業、観光、農林水産業の概況と提言をまとめている。→ (2012.01.03. at 16:30:56)


(地域戦略)第4章「財政制約下での復興戦略」地方自治体の財源について解説し、今回の震災後の被災県財政事情の展開を、阪神・淡路大震災後の兵庫県、神戸市の事例から予測する。→ (2012.01.03. at 16:36:48)


(地域戦略)第5章「復興特区の可能性」この章はいわゆる経済特区について、基本的な知識がまとめられていて解説としてありがたい。ただ、現時点ではまだ復興特区は実現していないので、注視する必要があるだろう。→ (2012.01.03. at 16:40:56)


(地域戦略)第6章「新たな復興主体の形成」国の復興構想会議でも話題になった「復興まちづくり会社」の説明と提言。従来の三セク失敗の轍を踏まないよう、安定的な売上と組織マネジメントできる人材が必須、と。(CFWの次の段階として適切な経営形態かと思ったが、どうなのだろう?)→ (2012.01.03. at 16:48:40)


(地域戦略)メモ。復興を完成させるには厳しい財政的な制約と、被災地行政機能の一部不全状態がある。地域振興、支援活動の観点からは機能不全な部分を補完して共に進むという意識が大事だろう。「選択と集中」は精査してすべきかと。(行政と敵対するなんて復興の文脈ではナンセンス…) (2012.01.03. at 17:00:17)


色々読んでおかなきゃなあ、ということで、以下の岩波ブックレットを読了。飯田・今井他『原発をどうするか、みんなで決める』、鶴見・澤池他『原発への非服従』、秋山豊寛『原発難民日記』 (2012.01.03. at 20:39:39)


池田信夫他『3.11後日本経済はこうなる!』(朝日新書、2011年6月)読了。震災直後1ヶ月頃の対談形式提言集。続く数ヵ月で話題になった論点はほぼ出ていたが、予想以上の民主党政権の混迷がすべてを狂わせた。この対談時点で福島の避難所を見た小幡氏の提言は、殊に的確であったと思う。 (2012.01.04. at 01:42:38)


何とはなしに過ごした三ヶ日。それでも、ブックレットや新書ばかりだったが、10冊ほど読了。10本入った論文集を1冊読むより、即物的な充実感を味わえたのは確か。電子書籍でもこれは味わえないだろうなあ。。 (2012.01.04. at 01:54:27)


にわか勉強だったけど、過疎化地域向けの都市計画、再開発の発想はコンパクトシティー化が一般的なのかな。三陸だとどうなるかな。。。 (2012.01.04. at 13:20:14)


これも素人の恥かしい呟きだが、衰退局面にあった中小企業の企業価値、資産を査定せずに新規融資を引き出すことは、通常ありえない。今まで意識しなかったが、そんな主体にボラが無制限に支援しちまってよかったのか?まあ、回り回って不良債権化しても支援だからいいのだと言えばそうなのだが。。。 (2012.01.04. at 13:27:19)


仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉』(名古屋大学出版会、2011年2月)の第1章まで読む。正直に告白すれば、昨年の震災とそれ以後の実体験が無ければ、決して手に取ることはなかった著書である。→ (2012.01.04. at 18:29:47)


(ボラ・誕生・終焉)→自分にとっては未知の領域である「ボランティア論」の片鱗でも知りたいと思い、歴史研究をしている者として、素直なアプローチと思えた本書を手にした。「ボランティア」(とその周辺語彙)に関する言表・言説分析。→ (2012.01.04. at 18:36:48)


(ボラ・誕生・終焉)→戦前の「慈善」を巡る議論の中に既に、この震災で話題になった論点が全て出そろっていたことに愕然とした。この第1章では、「慈善」・「奉仕」・「奉公」の語彙を巡る言説分析を展開。(まだボランティアの用例はわずか。)引き続き、第2章以下も読み進めていく。 (2012.01.04. at 18:38:18)

   正月読書録(了)


被災東北3県の瓦礫処理の遅れが、どれだけ復興の足を引っ張っているか、どなたか試算した方はいらっしゃらないだろうか?… (2012.01.05. at 00:00:37)


震災・復興絡みの学術的イベントだけでも、全国でどれだけやられているのか分からないほどだし、もちろん全部をカバーできるわけもない。主要大学、主要学会でのシンポ、報告会の情報だけでもひとまずアーカイプ化しておかないとダメだろうなあ。。。 (2012.01.07. at 08:02:11)


2極に分断されがちな集団の中に、3極目を構築することは無理かな。原発の是非や放射能汚染の評価についての見解はどうしても両極端に走り、先鋭的なコメントほど流通する。一方、中立層、無関心層は背景に退いている。積極的に発信する第3極が必要なんだろうなあ、と思うこの数日。 (2012.01.07. at 08:13:06)


東北太平洋側だけで瓦礫処理を進めると仮定すると、どれだけの経費が必要か。集積場・焼却処理施設の建設、それらが稼働するまでの間の現地復興の凍結、等々。誰か試算してくれ~ それに見合った財政支出の増加に合意出来るなら、そこから議論を進めないと。 (2012.01.07. at 08:26:49)


正月読書録(Ⅱ)


仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉』(名古屋大学出版会、2011)の第2~4章を読んだ。敗戦直後から60年代初頭までを扱う。「ボランティア」の語がようやく、普及し始めるのが実はこの60年代初頭。 (2012.01.07. at 09:20:34)


赤い羽共同募金の立ち上げとそれへの批判、社協の成立事情など、門外漢にとっては現在のボラを考えるうえで参考になる歴史的背景を教えられた。(著者の趣旨とはずれた感想で申し訳ありません。)全体のコメントについては、さらに読み進めてからとしたい。 (2012.01.07. at 09:26:51)


仁平『「ボランティア」の誕生と終焉』(名大出版会、2011)の第5・6章を読んだ。70年前後の「奉仕」「ボランティア」の意味の変容が劇的。68年の学生運動と距離を置きつつもソーシャルアクションを志向した左派。戦後引揚者の互助組織から出発した右派組織がなぜか市民運動推進へと大転換。 (2012.01.08. at 22:37:52)


個人的には、現在も続いている組織や社会運動の歴史を知ることができて有益だった。例えば、「青年海外協力隊」。福祉行政の専門家にとってこの組織の形成史は自明なのであろうが、驚愕の一言。。。それにしてもボラを巡る発言・意識は戦前から一貫して変わらないことも確認。→ (2012.01.08. at 22:41:23)


ボラを巡る認識が、結局「自己満足ではないのか?」という疑念と自己否定に向かったとき、次の行動をどこに向けるかという選択が、その時代の条件に束縛されるのかな、と感じた。「ボラを無くすためのボラ」という発言も70年代には既にあったとのこと。→ (2012.01.08. at 22:46:43)


逆に、ボラに参加する人たちは、なぜ全く同じ意識と行動様式を繰り返し出現させてきたのだろう?と自分なりに考えてみた。震災後の10ヶ月間で交わされた膨大なボラに関する呟きのほとんどは、70年代までの状況で全て言われ尽くされていたように私には見える。→ (2012.01.08. at 22:50:08)


恐らくそれは、ボラが必要となる現場が突然出現し、それまで全く現場とは関係の無い大多数が当事者として放り込れ、ボラについて一から考え直す経験を迫られるからだろうと思う。歴史と経験の蓄積を継承する機会を得ぬまま、実践を迫られるが故の反復であったのではないかと。→ (2012.01.08. at 22:55:08)


「経験の無い現場に飛び込まされる」という話はよく考えれば、人間が「生きていくことそのもの」に他ならないが、ボラという特殊に見える行為に意識が集中すると、途端に、他人との関係性や自分自身の在り様について、反省をしてしまうのかもしれない。/さらに読んでいきます。 (2012.01.08. at 23:00:01)

   正月読書録(Ⅱ) (了)


明るい悲観論を語れないものかなあ。。。 (2012.01.09. at 00:30:44)


「みちのく震録伝」国際シンポ


これから、仙台国際センターで開かれる、国際シンポジウムに向かいます。駅から広瀬川まで、また歩こう。 (2012.01.11. at 08:56:16)


震災から10ヶ月目の今日、「これから」のことを考える一日にしたい。 (2012.01.11. at 08:59:33)


午前中の各報告を受けて、考えたこと。震災の記録、写真、証言…を集めて公開する(アーカイブ化)する体制は、省庁、企業、大学レベルでかなり進んでいる。並列して進んでいる各PJの間でいかに連携していくかが次の課題か。あとは現地からどうやって記録を集めるかだろうか。 (2012.01.11. at 12:56:52)


細かい話だが、記録・証言の集め方は、インタビュー、オーラルヒストリーの専門家の他に、メンタル・サポートも必要なんだろうなあ。IT関連技術は現状で問題ないだろうが、人間の生活、心理、復興のプロセスのどこまでをどのように記録、保存するかの議論も大事かな。 (2012.01.11. at 13:02:32)


現代史の記録の残し方の難しさは二つある。物としての資料・史料の膨大さ。何を残し、何を捨てるかの判別の困難さ。もう一つは、オーラルヒストリーのような証言収集。時間の経過と共に、人の記憶はどうしても「整頓」される。災害時は特に、通常の心理状態ではなく、そうなるかもしれない。 (2012.01.11. at 13:18:55)


黙さず、祈りを (2012.01.11. at 14:49:15)


国際シンポ休憩中。神戸大の震災文庫設立から運営業務の円滑化までのあゆみは、非常に参考になりました。被災三県図書館+仙台市+東北大の取り組みは、やはり地域市民の視点の重要性を再確認。チラシから手書きメモまでとにかく集めないと。。。 (2012.01.11. at 16:07:31)


今回の国際シンポのまとめを東北大学のHPで公開するとのことです。一週間後ぐらいには。。。とのことでした。「みちのく震録伝」がプロジェクト名です。 (2012.01.11. at 17:22:19)

   「みちのく震録伝」国際シンポ(了)


宮城県図書館調査報告


宮城県図書館で調査終了。帰りはバスで泉中央駅へ。明治と昭和それぞれの三陸津波被害報告書(宮城県)を調べた。昭和の報告書は写真が多数収録されているが、とても正視できないカットもある。このあたりは一部写真を除いて、デジタル化して公開するのが良いと思う。 (2012.01.12. at 12:12:16)


二言目にはまだ普通に震災を話題にする地域と、地震の一語すら発しない地域を行ったり来たりしていると、日本国内は意識面でたしかに二極化しつつあるな、と感じさせられる。これに原発事故が加わると、さらに事情は複雑になるのだろう。。。 なんとかしないと。 (2012.01.12. at 21:25:35)


やっと昨日、宮城県図書館で一部をコピーした宮城県による明治29年津波の報告書、『宮城県海嘯誌』(明治36年刊)。パラパラとめくっていたら、ちゃんと貞観地震から直近までの歴史的記載もあった。翻刻してWebに載せる積もりだけど、単位がすべて尺貫法なので注が大変そう。。。 (2012.01.13. at 10:30:17)


宮城県図書館で、昭和8年の津波の報告書も、目次部分だけコピーしたが、閖上と坂元にも被害のあったことが確認できた。しかしほとんどのページは牡鹿以北の情報で埋まっている。「記録されなければ記憶に残らない」という例だろう。昭和の津波の時、仙台平野部にも津波が来ていたのである。 (2012.01.13. at 12:07:24)


この昭和の報告書に三本序文が載せられていたが、三つとも「東北地方は天恵が少なく」、だから住民は「剛健不屈」だと一括りにされていたのには滅入った。東北に対する地域的イメージの根深さを見せられた思いである。 (2012.01.13. at 12:12:34)


昭和8年に仙台平野南部にも津波が来ていたことは、関係者の間の伝承では記憶されていたかもしれないが、全県的な記憶になっていたかな、というと怪しいだろう。歴史記録の利活用の話題になるな、これは。。。 (2012.01.13. at 12:24:11)

   宮城県図書館調査報告(了)