凡例

・以下の記録は、2012年3月1日から、2012年3月15日までのTwitterでの呟きをまとめたものである。

・収録した呟きは、著者本人の独白形式のみを採用し、RTとそれへのコメント、@付きでやりとりをした会話は原則として除外した。

・各呟きは、時系列に沿って提示している。("2011.07.17."で呟いた日付を指示する。)

・収録にあたっては、誤字脱字を訂正し、必要最低限の補足修正に留めた。

・「※」を付して、呟きの背景を注記した箇所もある。

・一連の内容がまとまっている場合は、適宜、小見出し、参照URL等を付した。


本文


Making of Review:書評の舞台裏(Ⅱ)


よし、今日の夕方までには仕上げるぞー! しんどいけど。。。 原稿用紙90枚くらいになってしまった。。。

何か途轍もない虚しさに潰されそうな心境は久しぶり。。。

一つの原理と実例で、無理矢理何でもかんでも一般化して説明する態度は、似非科学と同一構造なんだよな~

やっと、書き終えた。。。 これからブログにアップする作業に移ります。。。

あちゃー。。。 ブログの制限字数オーバーしちまってた。。。 3分割ぐらいしないとダメか。。。

書評書きました。長文のため、3分割してありますが、駄文の極みです。/『書評(Ⅰ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』』 http://t.co/2BntPRCI

書評2つめはこちらです。/『書評(Ⅱ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』』 http://t.co/BanAPaRf

書評、3つめ、最後です。/『書評(Ⅲ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』』 http://t.co/WVezuQQs

何とか一周年を迎える前に、書評という形ではあるが、自分の考えをまとめることができて安堵している。犠牲者と被災地を忘れた不毛な議論は終りにしたい。
(2011.03.01.) 


その後


肝心のところで、「素人」を前に出すのを好きな人たちがいるようで。

自分のショボイ・ブログは半年近く休眠状態だったが、先日投下した書評で昨日のアクセス・ランキングが「歴史好き」ジャンルで28位(4238人中)になってた。んでもって段位も黒帯で、ブログのキャラが奥義「ドラゴン召還」を覚えてた。こんなに増えたのは『天地明察』の批判以来かな。

論理と心情を混同した批判は不毛だな。論理的に言葉を紡ぐことを商売としている者の発言に、矛盾と不備があれば、同業者から批判を浴びるのは当然だろう。それがなければ業界のモラル・ハザードが簡単に起きる。ましてや、人を相手にする支援論や環境問題などはなおさら。

言葉を発することを職業にしている人は、簡単に読める物ほど、完璧に理論武装して書かねばならぬもの。
(2011.03.04.)


結局、運動のための似非支援、自己主張や自説押し付けの支援というものは破綻するしかないわけだ。

論理的な言葉で商売しなきゃいけない人たちが、非論理的な人たちの片棒担いでわめき散らす姿は、やはりみっともない。
(2011.03.05.)


ある程度の影響力を実際に現場で行使し、メディア、出版にも露出して宣伝する組織におかしな事があれば批判するのが筋。称賛しか出ないというのも変。同じ被災地出身で何十回か現場を見て、同業の大学教員で世代も近い自分が批判しないとダメかも、と思って先日の書評を書いた。それ以上の意味はない。

「専門家としての提言」と「市民としての要望」は共に大事であるが、発言の種類を混同してはいけない。えてして、マスコミで発言する識者はその傾向があるんじゃないかな。自分を例にすると、江戸時代の資料保存なら少しぐらい提言できるけど、都市計画や義援金システムには要望しか言えないね。
(2011.03.07.) 


震災1周年を前にして


理解不能なRTが回ってきたけど、私はその発信元本人からブロックされているので、せめて憐れみの念波だけは送っておきたいww

そのやりかたって、宗教団体のイベント動員そのままやんww

やっぱり、拙文で指摘した「独善性」は適格であったと私は判断する。「ふんばろう」の運営方針にたいして。
(2011.03.07.)


自画自賛RTしまくる段階で、こいつアホやな~、と普通思わんか?ww

被災地支援で、支援者は1クリックで物資や義援金を現場に投下し、それを仲介する側も手軽にマンパワーと資金を集められるようになった。だが、この手軽さで支援活動全体が容易になったわけではない。裏方の仕事、現場の調整、クレーム対応は今まで通り。そこを疎かにする支援組織は崩壊する。

おやおや、今度は書簡集ですか。。。 さすがにこういったものの書評はしませんけどね。各書簡の掲載許可はとってるんだろうけどさあ、しかしまあ、自分の団体宛に来た手紙をまとめるって、すげー自画自賛やんww
(2011.03.09.) 


「2012.3.12を中心としたまとめ~ブラック組織編」を見て


( http://togetter.com/li/271698
)


絶句するしかないな、マジかよ。。。 ここまでの人間関係のゴタゴタに巻き込まれ、対決を承知でカミングアウトされていることに率直に同情の念を。事実関係に誤認があるなら組織の側も正すべきだろう。推移を見守ります。

去年の夏あたりから、現地を回ったときに聞こえてきた話はこういうことだったのか。。。 ンガー!!

ツイッターで急成長した組織が、結局は、ツイッターで潰滅してしまう予感。

この方をイベントに誘ったんか。。。。
(2012.03.12.)


あまりにも子供じみた振る舞いをしてしまう人をトップに据えるリスクは大きいなあ。組織の幹部が優秀でトップの動きをコントロールできないといずれ破綻するね。

組織のトップが天然ボケの非常識発言を連発して、裏では駄々っ子よろしく思い通りにならないメンバーを攻撃するって、やはり、組織運営がなっとらんと思う。天然ボケキャラをうまく誘導してくのが幹部だろうに。広報戦略だけじゃなくね。

そもそも、営利でもないし、行政でもない組織は、社会との信頼関係構築が命なわけで、それができない組織は淘汰されて当然。それのできない組織は刷新しなきゃ存続できまい。

先の書評でも指摘したとおり、「ふんばろう」の組織運営は画期的なように見えて、実はワンマン経営(独善性)の飾り文句を変えただけのもの。代表の性格や言動に組織の存否が左右されてしまう最悪のモデルを、代表自らが構造構成してしまった悲劇。

この一年を思い出して、災害ボランティアの状況判断の仕方に反省があっても良いと思う。災害直後は「緊急だからどんな方策を用いてもよい」と突っ走るか、「緊急だからこそ平時の体制に戻す補完代替機能」が大事と構えるか。この二つの考え方の違いが、長期ボラ活動に影響していると思う。
(2012.03.13.)


地震・津波から1年を経過した今も支援活動は各方面、分野に分散しているが、必要とされている。しかし、支援を受ける側も、相対的にすべての支援が必要では無い面もある。支援側の精査と地道な活動がさらに求められる。詐欺やいい加減なボラは淘汰されねば、そちらの方が障害になる。
(2012.03.14.)


ツイッターやFBは見事なまでに、主義主張の一致する人だけをグループ化できるので、いったんそのグループを相手に議論すると、相当しんどい。他の批判をかたくなに受け付けない素地が最初から織り込まれているわけで、非常にやっかい。
(2012.03.15.) 


「2012.3.12を中心としたまとめ~ブラック組織編」を見て


(http://togetter.com/li/271698 )


四の五の言わずに事実関係確認して釈明か謝罪だろうに。それすらできないとは自浄能力のない組織であることを露呈したわけだな。まったくもう。。。 事が露見して何日経ってるんだか。

有名人に宣伝してもらう以外に何ができたのか?と反省してみれば、その限界は明確なわけで、支援活動を撤収すべき時期を見誤ったとしか言えまい。関係者に電話しまくって事態収拾に励む代表の姿が漏れ聞こえてくるようでは、断末魔だな、ふんばろうは。

支援者・受援者の関係を一つのシステムとして考えると、「支援を止めること」も立派な支援になる場合がある。こういうメタレベルの発想を本来得意とするのが哲学者なのに、いざ支援組織の代表を務めるや、ずぶずぶの支援蟻地獄に落ちた皮肉というか、悲劇。

人権侵害にあたる事案が取り沙汰されているのに、組織としての反応が鈍すぎるだろう、ふんばろうは。代表が以前、名誉毀損、名誉毀損と喚いていたあれは一体なんだったのか?

部下がやったことならいざ知らず、責任者の振る舞いが批判されているのに、釈明か謝罪すら即決できない責任者なんて、失格じゃん。

やましいことが無ければ釈明すればよろしい。過ちがあれば謝罪すればよい。その即決も、やはり行動力と言って良いだろう。自分に気持ちのよいこと、利益をもたらすことだけに飛び付くのが行動力ではない。

危機管理意識甘いよ、ふんばろうは。ハラスメントに当たる紛争処理を、被害側と加害側と会わせてやるなんてあり得ない。人権軽視も甚だしいわ。

セクハラにせよパワハラにせよ、当事者同士を同じテーブルにつかせるなんて正気の沙汰ではない。被害申告している人が精神的苦痛を負っている場合を考慮して第三者を立てるのは企業でも大学でも同じ。そこまで落ちたか、ふんばろう。
(2012.03.15.)