何故オラクルカードのリーダーが宗教に目覚めたのか? | ~毎日を天国モードにする!「引き寄せの法則」ブログ~

何故オラクルカードのリーダーが宗教に目覚めたのか?



参考資料

今回の記事は特定の人物の人生についてでは無く、「引き寄せの法則」の観点から、「何故この様な現象が起こるのか」についてフォーカスします。

オラクルカードを開発し、世界中に天使などの高次の存在についての教えを普及した人物が、突然キリスト教に目覚め、スピリチュアルの世界とは完全に縁を切りました。

これを書いている自分はキリスト教に関しては知識があります。

13〜14歳位の頃まではキリスト教信者であり、物心ついた頃から日曜日は教会に行き、夏にはワシントン州の田舎にあり、毎日2回は、礼拝がある泊まりがけのクリスチャンサマーキャンプで1週間程過ごしました。

従って元信者としてキリスト教について断言出来ます。上記の感情のスケールの中で位置付けすると、キリスト教は最底辺の22番(恐れや無力感)に属します。

何を恐れるかと言うと、まず神自体が怖い存在です。そして神の教えに反する行為は全てバレバレで、犯した罪に関する罰を恐る。更にはいつの日かキリストさんが地球に戻って来て、全ての人間を裁き、教えに反した物は永遠に地獄に堕ちる。この裁きを受ける審判の日とはイメージ的には救世主が戻られ、天使達と音楽と共に祝福する日みたいに描かれていますが、子供心ながらに恐怖しか感じませんでした。沢山の人達を虐殺して来た国の独裁者の笑顔の写真が、街の至る所に飾ってある様な不気味さがあります。

なんせ先述したサマーキャンプでは、キリストを受け入れない人物は審判の日に全員地獄に行く事になると教えられたので。そしてキリストだけ神の息子で、我々人間にとってはそのイエスさんはボス的存在である。 キリストの前では我々平民は無力な存在。神の裁きについては広島の原爆資料館で見た写真と同じ様な恐怖感を感じていました。

永遠に地獄って、これを22番の恐怖と言わなければ、何を恐怖と言うのでしょうか?

その後色んな縁があり、オラクルカードリーダーの認定生となり、一人の読者から、本人から直接ワークショップに招待してもらえる様な仲になり、数分ですが、アメリカで数千人の前にステージに上げて貰える事も経験しました。

なのでキリスト教と同様にオラクルカードの世界に関しても経験があります。宗教が「恐れ」なのに対して天使とオラクルカードの世界は、6番の希望と7番の満足感辺りに位置付けされます。「困った事があれば、天使にお願いすれば上手く行くかも!」

「オラクルカードで勝利は近いとのメッセージが出て来たから大丈夫でしょう(満足感)」

しかし自分が恋愛について本当に困っていた時代に、どんなに「勝利」のカードを引いても、大天使にお願いしても状況は良くなる所か、悪化します。それにある時に勝利のカードを引いても、数分後にが、「忍耐。今は辛抱の時です」とのカードが出てガッカリする。状況も変わらないので、このセルフオラクルカード引きに関しては「13番疑い」辺りにいました。

ちなみに今だから分かりますが、「辛抱の時」とは願望に関してネガティブな感情が存在する事を意味します。カードが伝えている事は、「何か欲しい物が手に入らない事に関して苦しみを感じる。しかしそのまましばらく過ごして下さい。そうすれば良い事が起こる。」

これは引き寄せの法則に反する考え方です。辛抱する事により苦しめば、苦しみと同様レベルの出来事を引き寄せるだけ。正しい答えは、「今は気持ちを楽にする時。ネガティブな感情を減らし、今はまだ夢を手にしていないけど、毎週、毎日少しずつ気持ちが楽になり、願望実現に向けて近付いている手応えは感じる。と言う事は今この瞬間にはいるべき場所にいると言う事。なら全ては完璧だと思い、今日は合格したと思い、1日を楽しめばいいじゃなの!」

要するに辛抱する必要は無く、今直ぐ楽しい気持ちになる時なのです。

この様に天使やオラクルカード任せにしているとガッカリする事もあるし、本当に求めている気持ちの急上昇を慢性的に体験する様に設計されていません。

少なくとも自分の体験では、人生において遭遇する様々な挑戦を、「天使がなんとかしてくれるかも!」では直せませんでした。

引き寄せの法則を学び、意図的に感情を1番(愛・感謝・自由・喜び)に持って行く事により、初めて天国の目線から状況を見る事が出来、解決策を引き寄せる事が可能となります。

ですから真の高次のメッセージとは、1番(愛・感謝・自由・喜び)辺りから来る物で、一番(愛・感謝・自由・喜び)辺りについて語る物です。エスターヒックスさんがチャネリングされて伝えられる、エイブラハムの教えなどが良い例です。

6番の希望ベースの、天使について教える講師達に認定コース繋がりで、多数と交流がありましたが、皆6番より低い位置の、様々な感情の位置に属していました。認定生同士数人で、「あの先輩認定生本当にヤバいよね。その人の生徒が他の認定生の所に行くと、ジェラって猛反発してくる」見たいな話をした事があり、結論として、「22番の恐れる辺りにいる人達にとっては、そういう復讐18番ベースの先生が救いの光になるのだろう」と言う意見で皆同意しました。

講師が希望の世界について語ったり誘導瞑想をしたりしても、本人自身が常に希望の世界にいるとは限りません。それに本当に希望の世界にいると、十分幸せなので、天使に助けを求めようという発想が浮かばず、他人にもこの幸福感を感じて欲しいと思うのが自然体となります。従って天使やオラクルカードについて語る物は、6番から低い位置から見た、「希望と言う救いの世界」について語るのです。

天使が助けてくれると言うコンセプトを引き寄せの法則に言い換えると、「宇宙には無限の力が存在して、願えば叶えてくれる!」

しかし叶えられた願いを現実の世界に引き寄せる具体的な方法は語られていません。

本当の救いとは、自分の感情を自分で創り変え、感情の階段を駆け上がり、1番(愛・感謝・自由・喜び)迄辿り着き、自らが神や天使であった事を実感する事です。

しかしそこより低い位置から、「希望」について語っている者ですと、現実の世界で遭遇する様々な困難なチャレンジに感情で対抗出来る強い基盤が出来ていません。

自分の場合は先述した通り、どんなに苦しい中オラクルカードをめくっても、どんなに誘導瞑想のCDを聴いても、万円単位する天使リーダーのセッションを受けても、恋愛の状況は悪化して行きます。

言い換えるとそれだけでは、ピンチと感じる様な事態を制圧するには足りないのです。だからこそ、イカダで荒波を乗り超えようとする様に、押し流される事もありえます。そして知らぬ間に気持ちが漂流して、感情の階段を下がってしまう事もあり得ます。

ですから、12歳の子供が中学校に入学すると共に、一気に22番「恐れ」に急降下する様に、オラクルカードだけで生きている講師が人生のチャレンジに押し流され、同じく22番の「恐れ」迄下がる事は不思議ではありません。

そして「恐れ」迄辿り着くと、その空間で見える物がその人にとっては全てがリアルな現実となります。例えば魂とは肉体を去ると必ず昇天するので、成仏出来ない幽霊とは実際は存在しません。従って感情が高い位置にいる場所にいる者には見えない物です。しかし感情が底辺にいる者なら金縛やら幽霊が見え、本人にとってはリアルな現実として目に映ります。

同じ様にある夜キリストさんが夢に現れて、それがきっかけでイエスさんこそが救世主だと強く信じ、新たな目覚めとなった。これは22番(恐れ)の空間にいる人でないと経験しない事であり、1番(愛・感謝・自由・喜び)にいる人なら110%あり得ない事です。

世の中には多く分けて2つのタイプの人間がいます。意図的に感情を意識して、ネガティブな感情を意図的に掃除して、新たな視点と感情と現実を開拓して行く物。海軍の最強戦艦で海を渡っている人。

そして現実とはコントロール出来ない物で、ランダムに訪れて来る出来事を受け入れるだけと、海の上の波に流される様に生きている者。天使とオラクルカードの世界も一般社会よりはポジティブですが、未だこの部類に入ります。「オラクルカードがソウルメイトのカードを出したから、ソウルメイトを引き寄せるのだろう」では感情も視点も現実も自ら動かしていなく、言わば他人任せです。なので大波が来た場合は対応出来ない事もあります。

そもそも自分で現実の変え方を人生経験を通して学んだなら、問題がある度にオラクルカードを引こうと言う発想が湧きません。全ての答えは内なる天国の王国に存在します。とても皮肉な事に、この事を語ったのはイエスさん。しかし内なる世界の答えの探り出し方が分からないので、天使やらカード類の外部に頼ろうとなる。

なので今回の出来事から把握出来る事は、後者の部類の人間とは、生きている内に知らない内に感情の階段を下がる事があると言う事。例えばそれがオラクルカードや天使業界のリーダーだとしてもです。