夢の前の夢
願望が誕生してから、冒険の最初の頃は、気持ち的にそりを急な坂道の上に向かって押して行く重さがあります。
切実に心の底から願っているのに、現実は見知らぬ顔して過ぎ去って行く様な都会の冷たさがあります。
しかしそれでも押して行くのが人間の美しさ。
それは一歩ずつ進む度に、自らの位置が高くなっている事が分かるから。
今日も又現実はびくとも動かず辛くても、心の中では少しずつ楽になっている事が分かるからこそ、前に進みます。
後ろを振り向くと、下界は又少し遠く見える。前に進んでいる。今日はささやかな良い事があった。だから又前に進める。
しかし上を見上げると未だしんどい。頂上が雲に隠れて見えない。でもここまで来たらもう引き返せない。とりあえず頂上を見たい。
しかし実は頂上とは願望実現では無く、そりの本来の目的であった、下り坂を滑る事を楽しむ事だったのです。
引き寄せの法則的に、登り道だけで苦しんだ末に、突然夢が実現すると言う展開は法則に反します。
夢とは、自分自身が夢になってからこそ実現する物です。
だからこそ求めている物はキツイ登り道の途中では無く、重力無しの楽な空間の延長線として存在します。
下り道を楽しんで楽しんで遊び尽くした上で、そりはおとぎの世界に吸い込まれます。
欲しい物を見ても、求め無くなった時点から、頂点からの下降が始まって行きます。
ラブソングとか聴かなくても十分幸せな気持ちになれる頃から。
心の高揚感が、現実の冷たさを上回る頃から。
何も起きなくても、幸せな気持ちでお家に帰れる頃から。
そんな生まれ変わった自分に気付き、「凄い!」と思える頃から。
心の中で感じる手答えに、正真正銘の鳥肌を感じる時。例えば街中で魅力的だと思う人を見ただけで、感じる親近感が半端なく、普通に付き合ってる姿をリアルに感じる時。
今回瞑想したら又新しい次元にワープした。今気になるのは現実がどうのこうのとか、他人が自分の事どう思っているとかでは無く、次又瞑想する時、今度は一体どんな世界に生まれ変わるんだろう?
坂をどんどん下って行きます。
そりが勢い良く下降する時は、とにかく楽しくて、スリリングなので、いつ下に辿り着くとか、一番どうでもいい事。むしろこのままずっと冒険を満喫していたい。
しかし登った分が高ければ高い程。願望の規模が大きいと思えば思う程、下り坂も楽しさを数倍に返してくれて、「これでもか、これでもか」と何度も言う程、色んな気付きを用意してくれます。
だからこそこの世の中に生きている人にとって、本当の夢とは、夢見る物自体ではなく、そこに辿り着く迄の下り坂の旅なんです。
そして本当にそりで坂道を下る様に、楽しめば楽しむ程、終わりが近付いて来るのが分かります。
楽しい気持ちがマックスになった頃、夢への冒険は終わります。楽しんでる者が楽しい物を引き寄せる、それこそが引き寄せの法則です。まるでジワジワ上がって行く快感を楽しんだ末に、絶頂オーガニズムに達する様に。