7月10日 11:30 大阪へ

富山大学を出発。

『アセリオ』と『ソセゴン・アタラックスP』を3時間毎、交互に点滴しながらだったので、担当医師が同乗されていました。



姫が入院した日からこの日まで

極度の疲労と精神的不安から

何も食べ物を受け付けなくなった私の身体は

ヴィダinゼリーを4日間で1パック飲み切るのが精一杯でした。

でも、そんなふらつく身体で大阪に向かうなんて

流石にヤバいと自覚し

出発直前に野菜ジュースを飲み干しました。(汚い話、後から下痢しましたが…)



姫が帰りたいと願った我が家

自分のお部屋で寝てから行きたいと切望していた事を考え

意識が朦朧とする状態でしたが、姫の願いを叶えるために

病院から一旦自宅に立ち寄っていただく事にしました。



もう姫が生きて帰ってくるのは難しいのかもしれない、これが最後かもしれない



正直

心のどこかで、そんな思いも混在していました。





救急車が家に到着する時間に合わせ

上の子達と母も、待っていてくれました。



学校への登校を遅らせ

出迎えてくれた上の子達



『姫、頑張って元気になって帰っておいでよ』

と、長女が、姫のおでこを撫でながら涙し



いつもは、喧嘩ばかりしていた、長男が

ただ黙って姫の頭を撫でていました。



その光景が、切なくて、苦しくて

何でこんな事になってしまったんだろうと

現実に起きている事なのに

受け止めきれない自分がそこにいました。



大阪に向かう車内では

姫はずっと眠っていました。

大阪に到着するまで、一度も起きる事なく



京都を過ぎた辺りから、土砂降りになり

それでも、いち早く大阪の病院に送り届けようと

その一心で運転してくださった民救の運転手さん。

(実は理学療法士さんで同じ心疾患のお子さんを持つお父さんでした)

通常4時間半以上かかる片道を

悪天候にも関わらず4時間で到着させ

姫を無事に病院まで送り届けてくださいました。



入退院、緊急車両専用の玄関には

姫の主治医が立って待ってて下さっていました。


そして

『お母さんの気持ちを考えて動いてあげたかったのに、ごめんね』


と、第一声が先生の謝罪で

私からすれば、先生のお顔を見て安心し、また涙しそうになっていただけに驚きました。



これから始まる大阪での戦い

それでも、無事に大阪に生きて辿り着けた事に

まずは安堵していました。