↑前回の記事です。



その後も状況は変わりませんでした。
経過を診てくださる病院もなく、周りの理解もなく、症状が進んでいく日々。

階段が降りれなくなって外に出ることができなくなった。

室内も車椅子になり、、立つことが出来なくなり、、、

その頃の私は、
なんで分かってくれへんの?
サービスを受けれて当たり前。
こんな辛い状況なのに!!

と嘆いてばかりでした。
今思えば、あの頃の私は、
自分の主張ばかりでした。


相手が分かってくれない。
相手が悪い
相手が、相手がって。自分に何か原因があるのでは?とかかんがえてもいませんでした。


ふとした時に私は、
そっか!相手に求めるだけではだめだ。自分がかわることが必要なんだ。と思い、やってもらえて当たり前とかサービスを受けられ当たり前とか自分の主張ばかりではだめだよなとか他人と自分を比べることなどをやめました。


医者に対しても、こういう病気では?とか症状も専門用語とか使わないようにして必要最低限にして、聞かれたら答える。相手が考えやすいように情報を渡しすぎないことを意識しました。



そうすると周りもかわっていきました。
そして、転機は去年の大学病院でした。
大学病院に道がついたのは、


私がこれで良くなるのなら、もしかしたら身体表現性障害の可能性もあるかもしれないと心療内科に真面目に通うようになり、自分の気持ちなどをしっかりと話すようになったことが始まりでした。


その心療内科で先生がやはり精神的にしてはおかしいとなり、総合病院に紹介状を書いて下さり、その総合病院でこれはここでは診きれないということで大学病院に紹介状を書いてくださいました。


以前にかかって検査入院してた病院だったので以前のデータとともに大量のデータをまとめてくださりそれを持っていきました。



初診で診てもらい入院が決まり、担当医師が決まりました。



この先生がまた先生らしくない先生でした(笑)
1日に何度も顔出しに来てくれて、雑談をしてくれる。マンガの話しやお菓子の話とか。そんな中で自然に私の症状を診てくれてたみたい。



私は既にこの頃、どうしても医者不信の病院不信もあり、話すことに躊躇したり上手く伝えられなかったり見られてると動かしにくいなどもありました。



また消灯近くなってから、したい検査あるんだけどしていい?とか他の先生がした検査結果は信用してないから自分ですべてさせて欲しいと言われて大量の検査をしました。遺伝子検査も出しています。


たくさんの検査結果でも原因は不明のままで、身体表現性障害の疑いも消えてませんでしたが、経過を見てもらえることになり、その後もうひとつの勇気がいりましたが、大きな行動をして一気に状況が変わっていきました。


それが心療内科とか精神科にいくとか治療すると、色眼鏡や偏見で見られて身動きとれなくなるのでは?という気持ちからアクションを起こす勇気がなかった、麻痺のことに関して、身体表現性障害かもしれないと認めて、心療内科や精神科での治療に専念することでした。


入院先は心療内科と神経内科がある病院でした。


このことはまた後日書きます。
長文を読んでくださってありがとうございましたニコニコ

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皆様のブログも読ませて頂いてますがなかなかコメント書けていませんがまた落ち着いたらゆっくりとコメントさせてくださいねニコニコ