牛久保ゆかりの武将たち | 戦国未来の戦国紀行

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『第3回 牛久保ゆかりの武将たち』

 




 

日時:3/28(木)13:45~15:45
集合場所:JR牛久保駅
内容:ボランティアガイドによる牛久保城跡や今川義元公墓所(大聖寺)等の案内
http://www.toyokawa-map.net/pdf/seminar3_ushikubo.pdf

 

 牛久保の武将と言われても、牧野氏と一色氏、あとは山本勘助くらいしか思い当たらない。あと、今川氏真と明智光秀が短期間住んでいたらしい。

 

・今川氏真

https://bushoojapan.com/iinaotora/2019/01/28/87525

・明智光秀

https://secret.ameba.jp/sengokumirai/amemberentry-12398447111.html

 

 

 

 

 牛久保の大聖寺には今川義元の胴体、駿府の臨済寺には今川義元の首があるとされ、同時に法要が行われる。(今川義元(天沢寺殿四品前礼部侍郎秀峰哲公大居士)の菩提寺である駿府の天沢寺には供養塔があるのみ。)

 

 

20時からは細川ガラシャ。

https://secret.ameba.jp/sengokumirai/amemberentry-12449377665.html

 

【番組の感想】 「本能寺の変」で自殺しなかった細川ガラシャが、なぜ「石田三成の細川屋敷襲撃」で自殺した(家老・小笠原に長刀で首を刎ねさせた)のか分からなかったけど、なんとなく分かった気がする。「本能寺の変」の時には「細川家のために生きろ」、「石田三成の細川屋敷襲撃」の時は「細川家のために死ね」と言われたんじゃないかと思う。(禁教令が出た以上、家人に信者がいたらやばい。)「殉教」と言っていたけど、それではイエズス会の誘導(思惑)通りかと。

「石田三成の細川屋敷襲撃は、第二の本能寺の変」という解釈は面白かった。

・織田信長:侍女たちを逃し、本能寺に火を放ち、自害

・細川ガラシャ:侍女たちを逃し、屋敷に火を放ち、自害

 磯田先生は、「本能寺の変で、羽柴秀吉は明智光秀を討つ大義名分を得た。細川屋敷襲撃で、徳川家康は石田三成を討つ大義名分を得た。つまり、細川ガラシャは関ヶ原の戦いの最初の死者である」と言っておられた。確かに、細川忠興は、石田三成を討つ大義名分が得られたわけだが・・・。(実際は、石田三成は、細川ガラシャを迎えに行っただけで、細川ガラシャが屋敷に火を放って襲撃に見せかけたのであって、石田三成にしたら、迎えに行っただけなのに、関ヶ原の戦いのきっかけを作られた、細川ガラシャにはめられたって感覚でしょう。細川ガラシャは死ぬ時と場所を探していました。そういう人に関わると、変に巻き込まれるという例かと思われます。)私は、「関ヶ原の戦いの最初の死者」(慶長5年9月15日の関ヶ原の戦いの大義名分を徳川家康に与えた人物)は、7月17日に細川屋敷で自害した細川ガラシャではなく、8月1日に伏見城で討死した鳥居忠吉だと考えたい。7月17日に大義名分が出来たのであれば、8月1日に鳥居忠吉は死ぬ必要はなかった、無駄死にだよ。)

 番組によく出てきたのは、ヨーロッパ原産の「マドンナリリー」(聖母マリアのユリ)によく似た「テッポウユリ」(沖縄~九州南部原産)です。(「マドンナリリー」が輸入されたのは江戸時代(1765年)。)