ブリンディシ3 の続き。


ところで、ブリンディシは、古代ローマのアッピア街道の終点が

あることからも分かるように、古代ローマ時代から東地中海方面

への海の玄関口で、海上交易の中心地だったらしい。

今でもギリシャ行きの船が出ているようで、

海沿いで船のチケット販売店を何件か見かけた。


ブリンディシの地形は面白い。

昨日紹介した地図( Copugliaのプーリアの地図 )の7番の地図から

もなんとなく分かると思うが、細長い2つの入江があるのだ。

つまり入り江がY字型になっているというか・・・。

ブリンディシ1~3の記事で「対岸」と言っているのは、

この一方の入り江を挟んだ向こう岸のこと。


旧市街とは対照的に、対岸の新市街にはモダンな感じの住宅が

立ち並んでいた。

その住宅街を抜けて、ブリンディシの港で「アッピア街道の終点」

と勘違いしそうになった( 記事 ブリンディシ1 参照)、

ヨットの帆の形をしたモニュメントへと向かった。

どうやらこれは「水兵の記念碑」らしい。


水兵の記念碑


この記念碑の下部分は教会になっていた。

そうとは気づかずに前を通り過ぎようとしたら、

その扉の脇に座っていた男性に、

「ここは、キエーザだよ。キエーザ。チャーチ。

よかったら中へどうぞ~。」

と声を掛けられた。

キエーザはイタリア語で「教会」という意味。

わざわざ「チャーチ」と英語でも教えてくれるところがいいね。

でも教会だらけのイタリアを旅行する者にとって、「キエーザ」は

基本中の基本の単語。十分通じてますよ、お兄さん!


教会の中に入って、ここが「水兵の記念碑」であることがはっきり

分かった。

祭壇の脇の壁には、第二次世界大戦中に亡くなった人々の人数

が刻まれていたのだ。何年何月の○○海戦では、水兵○人、

公務員○人、民間人○人、××海戦では水兵×人・・・、

といったように。


電子辞書を引き引き壁に刻まれた文字の意味を確認し、

イチイチ感慨にふけっていたら、

なんだか後ろから睨まれているような気配を感じ、

ふと振り返った。

実は、係員さん、お昼12時になったので教会を閉めたいのに、

私たち二人が予想外に長居しているせいで閉められずに困って

いたみたいだ。

「あ、すみませんね。どうも、どうも。ボンジョルノー!」

と言ってそそくさと教会を後にした。


記念碑一帯は公園になっていて、天気もよくなったこともあり

沢山の家族連れや観光客がのんびり散歩していた。


↓ここからは旧市街が一望できる。

旧市街の写真は次回の記事でアップ予定!
水兵の記念碑のある公園1


↓記念碑の裏には芝生の広場もある。

この時は男の子とそのお父さんがサッカーの練習をしていた。
水兵の記念碑のある公園2


ちなみに、手前のベンチでは相方がお昼寝(朝寝?)中・・・。