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さて、今回の記事は菩薩について書きます。




この菩薩は本当は、菩提薩多(ぼだいさった)というのです。



前回の記事に書きました如来は悟りを開いて仏の位なのですが、


この菩薩は悟りを目指して修行中の身なのです。




お釈迦様は29才のときに出家をされ、


35歳のときに悟りを開かれたのですが、


この悟りを得るまでの修行時代は菩薩だったのです。





ところが、お釈迦さまが亡くなられてから時代を経るにつれ、


お釈迦様の偉大な悟りは


到底一生涯で完成できるはずはないと考えられるようになったのです。


悟りに到達するまでにお釈迦様は、何度も死に生まれ変わり、


生まれ変わる度に厳しい修行をされ、善行を積まれたからこそ、


お釈迦様は偉大な悟りを得ることが出来たのだと考えられるようになったのです。


お釈迦様のとてつもなく長い修行時代というものが


考えられるようになったわけですね。




また、もともと菩薩はお釈迦様の修行時代をあらわしていたのですが、


これが時代を経るにつれ、


お釈迦様以外の如来も考えられるようになったのです。



そしてお釈迦様以外の如来にもその菩薩の修行時代が考えだされたのです。


阿弥陀如来の修行時代の法蔵菩薩のように。






ところで、大乗仏教では全ての人が


悟りをひらいて仏になれると考えているのです。


また、大乗仏教では、悟りに向かうものは誰でも菩薩であると考えるのです。




「上求菩提、下化衆生(じょうぐぼだい、げけしゅじょう)」


ということをいうのですが、これは


上には悟りを求め、下には衆生を救おうということです。


この「上求菩提、下化衆生」することは菩薩の姿なのです。





この菩薩なのですが、修行時代でありますので、


如来に次ぐ地位にあるのです。


その役割は、如来の仕事を手伝うことなのです。




この菩薩は、観音菩薩のように


さまざまなお姿に変身することができるとされております。