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さて、今回の記事は仏教における天について書きます。



今回の記事も中村元著の「佛教語大辞典」から引用させて頂きます。



この大辞典に「天」というのがあるのですが、


ここの解説のところを引用させて頂きます。





【天】 てん



[解説]



初期の仏教教団では、教えの中心はニルヴァーナに達することであったが、


在家の信者に対しては主として


「生天」の教えが説かれた。


道徳的に善い生活をしたら天に生まれるという教えである。


施論・戒論・生天論の三つは在家信者に対する教えの三本の柱であった。



この天の原語はいろいろあるが、いずれも単数形でのみ用いられている。


すなわち、天は一つであって、


天の細やかな内容規定や、階層的な区別はなかったのである。



だれでも能力に応じて布施を行ない、道徳的に善であれば、


死後に天におもむくとされたのである。



この天の思想は、仏教独自のものではなく、


当時のインドの一般民衆の信仰であって、


仏教はそれを教義の中にとり入れたのである。



ただ、仏教では、この世界に対して


どこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、


あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、


一般民衆は俗信のとおり、


死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。



後にこの天は種々の位階に分かたれるようになった。


凡夫が生死往来する世界を欲界(性欲・食欲をもつ生きものの世界)、


色界(欲界の上にあって、食欲・性欲を離れた生きものの絶妙なる世界)、


無色界(物質的なものがすべてなく、心識のみある生きものの世界)


の三界に分けるが、


この三界にそれぞれ天があると考え、


欲界六天・色界十八天・無色界四天、


合わせて二十八天を立てるようになった。



この欲界六天の第二が有名な忉利天(とうりてん)で、


世界の中心、スメール山(須弥山)の頂上にあり、


帝釈天の天宮がある。


頂の四方に峰があり、


峰ごとに八天あるので三十三天となるのである。



後世の大乗仏教における浄土の信仰は、この天の思想の発達した形である。


浄土もまた、絶対の境地を表現したものであり、


彼岸とは完成を意味することばであったが、


天の場合と同じく、一般民衆には、死後の理想郷と受け取られたのである。





こう書いてありました。