自殺者のトップは20代という現実 | 真のアーティストになり時代のカリスマになる方法

自殺者のトップは20代という現実

僕が着信に気づいたのは午後15時頃。

折り返すと、

「もし今日、時間があるなら
 今からでも愛知県に行くので、
 会って話がしたい。」


とのこと。

実は、以前にも話したことのある人で、
僕の理念や考え方に共感してくれて
電話をくれた人だ。
(以前は僕が北海道に行くということで会えなかったが)

ちょうど書き物の仕事も一段落していたし、
わざわざ愛知県まで来てくれるという事だったので
熱意と行動力にひかれてOKした。

昨日までは抱えているプロジェクトの打ち合わせが
入っていたし、明日からは東京出張だったので
タイミング的にもよかった(こういうのって案外大事)。

お会いしたのは大阪で音楽スタジオを経営し、
レーベルも運営している若者2人。

レコーディングスタジオを自分たちの手で
スタートして3年、、、

ボイトレ教室まで開き、レーベルも55組のアーティストを
抱えるほどで、金銭的な面も含めてうまくいっていると言う。

聞くと2人とも元メジャーミュージシャン。
(ボーカルの女の子はモデル、タレント、アイドルという経歴)

イメージしていたキラキラした
メジャーの音楽シーンと言うのもなく、
華やかな芸能の世界もない。


そこにはアーティストから搾取するシステムが構築され、
旧態依然として既得権益だけが残るよく聞く世界。

最近、選挙があったがどこの業界も大差ない
(と僕は思う)。

はっきりしているのは、誰が悪いわけではなく、
抜け出られない枠組みや構造の中で
僕たち自身が「今」生きているということだ。

会社の悪口を言う社員自身がその会社を担う組織の一人であるように、
政治家を批判する僕たちも構成員である国民の一人。

衰退している音楽業界は誰が創ったのだろう?

何が悪いのだろうか?

本当に衰退しているのか、
本当に不況なのだろうか…

ほとんどの場合、自分の思考が世界を創っている。

思考の限界。

これがうまくいかない原因であり、結果だ。

「うん、わかるよ。」

と、みんな言ってもらいたい。

「いいね!」が欲しいだけ。

しかし、自己肯定からは何も生まれない。

自己否定からしか新しいものは生まれないのだ。

死に向かって生きているのではなく、
死からスタートしているということ。

自己否定というのは、捨て去ることではなく、
踏まえて乗り越えるということだ。

中学生は、中学生になった時に、
小学生でなくなり、中学生となる。

しかし、小学生を捨てたわけではなく、
小学生を保存したまま中学生になるのだ。

これはアウフヘーベンの秀逸な例えだと思う。

僕らは次の世代のために、
痛みを伴うかもしれないけども、
踏まえて乗り越えなくてはならない。

過去を保存し、前に進まなくてはいけない。

これを進化と言う。

「いいね!」を集めて自己肯定している場合ではない。
(いいね!は手段であり、結果ではない)

・・・

大阪から来た若者2人と話したのはこのような話。

メジャーに失望し、自分の手で道を切り開いた。

3年間、順風満帆でうまくいっている。

しかし、、、もっとデカイ事をやっていきたい。

チャレンジしていきたい。

そこで、

「いっしょにやっていきませんか?」

という提案。

メジャーでもなく、
インディーでもない、
第三の道を創っていこう、
と、そーゆーお話だ。

新しい音楽シーンと言うか、
新しいカルチャーと言うか、
今までにないものを生み出す。

自分の足で歩く事。

これを生きるというのではないだろうか?

先進国で唯一、自殺者のトップが20代という現実のある日本。
(2位は30代、3位は10代)

ここ最近、中高年の自殺は依然として多いものの
傾向としては若い世代の自殺が増加傾向にあるという。

先人達が培って来た資産の中で、僕たちは暮らしている。

今、自分は次の世代に何か残せているだろうか、
と言う事をよく自問自答している。

若い世代の自殺の原因は僕も含めた大人達が
未来をみせてあげられていないからではないのだろうか、
と考えたりもする。

選挙のニュースの裏に隠れて、
東電社員と社員の家族の補償を
打ち切るということが決まったという話もある。
(公になっていないみたいだし、真偽は定かではないが)

今、自分ができる事、やるべき事に全力を尽くす。

募金をするよりも遥かに社会に還元している
行為であると思う。

今日、大阪から来た若者2人のように、
情熱の持てる事に命を使う事を
ちょっぴり考えるだけでも世界は変わっていくと思う。

こんな事を雨の中、ふと思った。


島田晋輔