再び・・・命日。※注※超重い&超長文です | フェレット劇場

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 フェレット姉妹&パピヨン、たまぁにジャンハムの生活日記。
 夢のパピヨンに浮かれる母を冷たい目で見るフェレ姉がちょびっと怖いそんな日々。

今日一月二十二日は、私の父の命日です。

一周忌です。

一年前の今日・・・父は亡くなったと思われます。

なぜこう曖昧なのかというと、父は一人暮らしでしたので、家で倒れて・・・発見されたときにはもう冷たくなっていたから。

祖父が、連絡が取れないということで様子を見に行ってみると、お風呂場で倒れていたそうです。

死因は虚血性心不全。

つまり、詳しくは分からないということ。

でも・・・お風呂に入ろうとしていたこと。

寒い時期だったこと。

足のむくみや体調の悪さ他・・・色々考えると、恐らくそうなんでしょう。


まだ四十六歳でした。

しかし昔から酒飲みで・・・たばこも相当吸っていて、たばこは一時期辞めていたとはいえ、体にいい生活を送ってきてはいませんでした。

私も母も何度も注意しましたが、聞くことはなく。

引っ越してからも一ヶ月に一度ほど会っていましたが、そのたびにどんどん体調は悪くなっているようでした。

何度も・・・父のもとへ戻ろうと考えた。

今では、そうしておけば父は死なずに済んだかもしれないのにと思っています。

ちゃんと食事管理をしていれば・・・ちゃんと病院に行かせていれば・・・もし倒れたときにすぐ気付いて救急車を呼べていれば・・・。

思うことはたくさんあるのに。

それほど後悔という気持ちではないように感じます。

ただ・・・毎日思い出しては、会いたいと。

もう一度でいいから会いたいと。

いや・・・生きていてほしいと。

そう思います。


始めに父の死を聞かされた瞬間・・・私は「やっぱり」と思いました。

いや、電話が来たときからそうだとほぼ確信を持っていた。

違うと・・・違っていてほしいと・・・そう祈ったのに、告げられたのは。


「お父さん・・・亡くなったって」


この一言だった。


やっぱり。そんなばかな。いやだ。

そう思うと同時に、頭も真っ白になった。

聞きたくなかった予想通りの一言に、その場を動くことが出来なかった。

その日私は眠ることが出来ず・・・かといって、涙なんて一粒も出ず。

次の日父に会いに行って・・・ようやく思い知った。

動かなくなった父を前にして、言い知れぬ恐怖に襲われた。

泣く・・・なんてものじゃどうにもできないほどつらくて。

父のそばに近寄れなくて。

その場にいられなくなって家を飛び出した。

祖父も・・・叔母も・・・母も・・・弟も。

なんで、喋ってられるんだろうって思った。

言葉なんてでなくって。

これ以上泣くまいとするのに耐えきれなくて。

死んでもいいと思った。

初めてこんな死を前にして、命の尊さを実感するなんてことはなかった。

こんな思いをするのが生きるということなんなら、私は今死にたいと思った。

これからもこんなのを見続けるのかと思うと怖くて仕方がなかった。


葬儀屋さんが来て綺麗にしていくのを、私は黙って見つめた。

目の前にいるこの人が本当に自分の父だとは思えなかった。

なんで好き勝手されてるんだろう。どうして起きないんだろう。

これは・・・本当に現実なんだろうか。


近くに寄れずに、死を実感するのが怖くて、私は結局あまり近寄ることも姿を見ることもできずにすべてを終えました。

今では少し後悔しています。

最後のあいさつも何もできずに・・・姿もあまり見れずにお別れをしてしまったこと。

でも怖かった。

冷たい肌に触れるのが怖かった。

近くで見て、本当に父なんだと思うのが怖かった。


火葬のとき・・・入っていく父を見ながら、これが本当に最後だと・・・もう一生父の姿を見ることはないと。

分かっていたのにそうは思えなくて。

だけど涙だけが止まらなくて。

もうずっと泣いていて。

時々父のことで談笑する親戚のおばさん達を見て、どうして笑えるんだろうって思った。

号泣していたはずの祖母も「お父さんはね・・・」って言っていて。

私はとてもそんな気分じゃなくて。

灰になってしまった父を、父とは思えなかった。

そのせいか、今でもひょっとしたら・・・なんて馬鹿なことを想う自分がいて。

もう一年も経つのに。

全然、傷が癒えることもなれば、乗り越えるなんてことも出来ていないと思う。

父のことや一年前のことを思い出さない日はありません。


一年前・・・死を知って一週間ほどは、ほとんど食べられないし眠れない日々が続きました。

やっと眠れるようになってからも、毎日・・・毎日・・・必ず父の夢を見て。

夢の中で父は生きていて。だけど私は、死んでしまうことを知っていて。

どうしようもないつらさに苦しんで。

だけど・・・夢うつつで戻った意識で、「夢だったんだ・・・死なないんだ・・・」って泣くんです。

そのまままた眠ってしまって・・・次に起きたときは、何が夢で何が現実だったか分からなくなる。

やがてすべてを理解して。「ああ・・・やっぱり夢じゃなかったんだ。もういないんだ」そう改めて気づいて、また一人涙を流す。

そんな毎日が三ヶ月ほど続きました。

でもある日・・・家の片付けに行って、形見としていつもつけていた指輪を持って帰ったんですが、それ以来ぱたりと夢を見なくなりました。

私の気持ちの問題なのか・・・なんなのか分かりませんが、とにかくそれ以来たまにしか夢に見ません。

なにかあると夢に出るのですが、そんなときの父は絶対に笑っていない。

すごく悲しそうな顔で私を見るんです。

でも私は・・・父が生きていることが嬉しくて。

夢だったと分かってつらくなる。


父は・・・決して褒められるような人間ではなかったと思います。

どうしようもない人。

その一言に尽きますが、それでも私にとっては父ですから。

もしドラゴンボールがあったら、父をもうちょっとだけいい人にして生き返らせてくださいって言いたいかな。

ドラゴンボール・・・・・・ほしいなぁ・・・。


・・・今でも時々思い出して泣いたりもしますが、生きるというのはそういうことなのでしょう。

つらかろうがなんだろうが、生まれてきたからには生きる。

生きる意味なんて・・・自分の価値なんて・・・そんなことを言う人を見るたびに、そんなものはないんじゃないかと思ってきました。

なぜ生きているか? 生まれてきたから。

なぜ生き続けるのか? 死にたくないから。

価値があるのか? そんなものは必要ない。価値の基準はそもそもなに?

それでいいじゃない。そう思ってきました。


けれど・・・最近は思います。

もし、地球上に自分一人だったなら。

命なんてものは、大切じゃないのかもしれない。

大事な人に会えなくなるのが嫌だから・・・大事な人を悲しませるのが嫌だから・・・。

だから死にたくないと私は思う。

人は一人で生きていないって、そういうことかななんて思ったり。


人生に意味を求めてたらすごく疲れると思う。

今楽しいことは楽しい。生きててよかったーって思う。

今つらいことはつらい。生きてるの嫌だって思う。

その繰り返し。

それでいいじゃない。

どうせ正解も満足のいく答えもないんだから、したいようにして生きたいなって思う。


・・・まあなんか最終的にわけのわかんねーこと語ってるバカですが。

真ん中飛ばしてでもここ読んでるアナタ、根気がおありで!

これから先も乗り越える自信はありませんが、思い出して悲しんで苦しんで、でもそれを枷に成長できたらなと思ってます。

なんかすいませんでした!←?