母が突然の重病で入院中です。

なかなか退院許可がおりない中、ひたすら現状を睨みつつ待機&リスケの繰り返し。

あらー、なんか不登校に似ているわ。


退院後の闘病生活の為に、実家を片付けているのですが
焼け野原子ども時代を過ごした世代の為、
モノに溢れています。
特に紙類のものすごさに、手の付けようがありません。

一緒に片付けた母の妹から聞いた話によると
「戦後は紙も鉛筆も教科書も無くて、授業は外で、ノートの代わりに校庭の砂地に書いた。
だから紙類は貴重で捨てられないのよね。」
首都圏の子ども達は受難でした。子どもでいられる時間を奪われて育っています。

戦争が終わって、生活の基盤も、生活という「時間」も
ぽかーんと真っ白になってしまった期間があって、
生き残った人たちは、
「学校」が再開したとき、「ああ、普通の生活が戻ってきた」と
強く強く感じたのではないでしょうか。

私の親世代には、その親世代が肌で感じ取って子に伝えた
学校に毎日行けることと今日という日を生きている実感、のような価値観が
あるのではないかしら。
自分は毎日学校が開いていて当たり前で、来ない子はまれだった世代ですが
どこか、学校=事無き日常 という 感覚を
無意識に持っているんじゃないか、
と、母が「万が一の為に取っておいた紙類」を見て思うのでした。

すでに学校というシステムに組しなくても
教育の自由は個人の権利、と
思っていても
我が子に、 いかなくたっていいよー と
言えていたとしても、
親世代から受けとった 時間割のようなものは
こころのどこかにあるのかもしれません。