------------------------------------------------------
自分より多くの知識を持つ者はたくさんいる。知恵の量では自分は取るに足らない者だ。しかし、自分と他の者には決定的な違いがある。自分より多くを知っている者も全ての事を知っているわけではない。なのに彼らは全てを知っているつもりでいる。私は何も知らない、無知である。しかし、自分が無知であることを知っている。もしも、自分が他の者より知恵があるとすれば、それを知っているからだ!
------------------------------------------------------
こう説いたのはかの有名な哲学者ソクラテスです。


先日、このブログ上でブラッドダイヤモンドの話を書きました。


改めて先週末の3連休に見直した訳です。


歴史上の側面を知り改めて見る”ブラッドダイヤモンド”は極めてすごい作品であることを思い知りました。


場面、行動、セリフ


映画の中のワンシーン、ワンシーンに意味がある。


それを実感してよりこの映画の奥深さを見た気がします。


初めて見た際は『映画』として見ていました。


それこそ目から入ってくる映像そのままです。


ですが、歴史の側面を知り、単純な映像美としての『映画』ではなく伝えたいメッセージとしての『映画』として見れた気がします。


知識や雑学も含め「知っている」ということはそのこと自体にも意味があるが、その知識があるからいろんな側面、切り口から物事を捉えられるということのほうが価値があり、より深い階層で物事を楽しめる要素が実は強いんじゃないかな


と思います。


人と違う見かたをする。


それが出来るのは『知』があるからこそです。


とは言え、自分はすべてを知るものではありません。


あくまでも自分自身が知らないことはこの世の中に千・万とあるわけです。


冒頭で『無知の知』について触れましたが、


”ブラックジャックによろしく”


という漫画の中で出てくる印象的な言葉


『無知は罪』


「知らない」という事が人を傷つけてしまう事がある


人の集合体で出来ている社会という組織体の中で『知らない』が許されないことは多々あります。


話が極端過ぎますが、『知』が人生を豊かにする源泉であることは間違いないかもしれません。