10月5日、東北大地震の被災地 石巻を訪れた。
東京から東北新幹線、JR陸羽東線、石巻線を乗り継いで約3時間で石巻駅についた。途中の沿線はのどかな田園地帯で、まだ取り入れ前の稲穂が豊かに実り、まるで何事も無かったような風景が嘘のようで、かえって哀しみを誘った。
しかし、石巻に近づくと線路脇の空き地に建てられた仮設住宅や、瓦礫の山が見えだして、現実の痛々しい風景が目にとびこんで来た。
写真はかって風光明媚な景勝地であった日和山公園から眺めた石巻港付近で、
ここに在ったという、病院や学校や幼稚園や住宅は跡形もなく流され、ここを訪れる人々は、新たに涙を誘われながら、花束をささげて合掌する姿も見られた。
石巻市は北上川が太平洋に注ぐ川口一帯に拓けた街であり、その川沿いの繫華街は、建物は残っているものの、一階部分は川を遡って来た津波に襲われて、全て
半壊状態で、店を再開した所は殆どない状況であった。
人通りも少なく旅行者だけが目を引いた。食事を提供する店もほとんどないため、
ある一軒のラーメン屋さんに列をなして待つ客の姿が見られた。
あれからもう半年以上経つが、店を再開しても漁港や商業港が本格的に復活しなければ、商売が成立たたないという、厳しい現実を目の当たりにした。
川の両岸には、満潮時に街を浸水から守るためか、新しいコンクリートの要壁が築かれている。
右の写真は、石巻市街の遠景であり
川岸を走る白い道のようなものがその
要壁である。
中央の中州は、かって市民の憩いの場であったろう、石ノ森美術館を残して
何も残ってていない。
この三陸海岸は度たび大津波に襲われ、1960年5月24日にもチリ地震に
よる津波で多大な犠牲者を出している。
日和山公園には、その時の津波碑が建てられており、その碑文の末尾には次の
ように記されている。
万霊の冥福を祈るとゝもに
常に心しよう
海難はまたやってくることを
三度このような悲惨な災害を繰り
返すことのないよう、そして被災地の
一日も早い復興を祈りながら、雨の
降りだした石巻をあとにした。
瓦礫だけ残して海は凪でいる
黙祷を海に捧げる日和山
合掌