以前、紹介した「牧水研究会6周年記念講演会」に行ってみた。
テレビの「海の細道」や多数の著書で、今や俳句界の売れっ子、長谷川櫂氏の講演とあって、会場の宮日ホールは予想以上の入りで、立聴きがでるほどの盛況であった。
長谷川氏は、隣県の熊本出身、東大俳句会、読売新聞社勤務を経て、
朝日新聞俳壇選者、「季語と歳時記の会」代表。
今回の氏の講演の主題は「なぜ五音、七音か」そして「切れ」とは?であった。
五音七音の由来については諸々説がある。
それは、・漢詩の五言絶句、七音絶句?はたまた以前から日本にあった
農耕からの労働歌の五音七音?
大阪の住吉神社、ここは海の神様を祀るとともに、詩歌の神様でもある。
航海と詩歌のつながり、つまり船を操っているときのリズム舟歌、これが五音七音の起源ではないかというのが氏の説である。
日本人のルーツは、従来、在来人+外来人という 説がもっぱらであったが、今や幾つかの外来人の混成民族ではないかと言われている。
いずれのルートを辿ったとしても、必ず海を渡って来、大和朝廷を造り和歌を楽しんだ。そこには先祖が海を渡って来たときの舟歌のリズムが生きつぎてきたのではないか。
この話を聴き、私は何気なく詠んでいる五音七音に壮大なロマンを感じ心の震えるおもいがした。
「切れ」とは俳句の世界では「かな」とか「けり」と解釈しているが、牧水の短歌も切らずに読むと韻文ではなく、散文になってしまう。
つまり「切れ」は気持ちのモードの切り替えであり、結句だけでなく句の最初にもあるのであるという。
このことは、川柳をつくるうえでも心しておきたいと思った次第である。
ここで,氏が前日、坪谷の牧水生家を訪れた際の一句(会場の聴衆のリクエストに応えて披露)を紹介する。
生家とは寂しきものぞ夏木立 櫂
梅雨の晴れ間のひとり言 九州男