【所作】【マナー】を伝えていく上で、どうしてもやりたかったこと

それは「子供たち」へのダイレクトアプローチ

よりたくさんの子供たちに【所作】【マナー】を伝えていきたい

この想いが遂に現実化します!

先日のblogにUPした不思議なご縁で繋がれたことがきっかけで、新たな活動がいよいよstart☆

もう本当に本当に嬉しくて、考えただけでワクワクしますo(^o^)o





これからの未来を歩いていく子供たちにとって、幼少期から【所作】【マナー】を身に着けることは

間違いなく≪人間力≫≪対人力≫を養うことに繋がっていくと、私は確信しています





昨今、「ありのまま」という言葉が持て囃されるようになり、あちこちで聞かれます

戦後70年

自己犠牲を美徳とする時代はもう終わります

しかし残念なことに、その自己犠牲ではない「ありのまま」という意味を、履き違えて理解されてる方もいらっしゃる気がしてます

生きていく上で自分に向き合う部分であったり、生き様を描くための自分自身の内面的な部分に於いての「ありのまま」というのは大いに結構だと思うのですが、
人と関わる上で「ありのまま」=何をやっても構わない…というのは少し考え物




人は決して一人の力だけで生きていくことはできません

直接的でも間接的でも、必ず誰かと関わりながら生きていくのが現実

世の中には本当にたくさんの人がいて、何もかもが千差万別

それでもやっぱり、共存共栄は避けられない

時代はもう変わろうとしていますが、人と関わる上で、どんな状況においても≪人間力≫≪対人力≫は必要とされ、また重要視されるスキルと断言できます

そういう観点で【所作】は世を生き抜く処世術なのかも知れません




そして、「自由」には必ず「責任」が付きまとって来るものです

無責任=ワガママ

なので私は「ありのまま」と「ワガママ」は別物と捉えています。




例えば…

その1

混雑する場所でキャリーを後ろ手に引いてる人

先日もいました

ラッシュアワーにでっかいキャリーを引いて何食わぬ顔をして歩く若者

本当に迷惑でした

身体の後ろではなく横で転がせば良いだけのこと

人にぶつけようが、通行の妨げになろうがお構い無し…

謝りもしない

何にも感じられないのでしょうか?

もし自分が相手の立場なら?と想像できないのでしょうか?

思いやりや気配りなど微塵も感じられなかった

たいへん言葉が悪くて恐縮ですが、見るからに使えなそうなサラリーマンでした

私がもし面接官なら即ハネです

その時たまたまだったのかも知れません

厳しいことを言うようですが、デキる人には抜かりがありません
もう習慣として備わっているんです

【所作はその人そのもの】ですから、きっと私の目に狂いはないかと…




その2

息子のお友達が家に遊びに来た時のこと

「お邪魔します」
「こんにちは」
「頂きます」
「お邪魔しました」

こんな基本的な挨拶が自発的にできない子ばかり!Σ(×_×;)!

外を見れば食べ散らかしたお菓子のゴミだらけ…

う~ん(((・・;)

これはさすがに面食らいましたが、怒りとかではなく、教えてもらえていないこの子たちが不憫だなと

どうしてそうするのか?
知らないからできないのです

将来、恥をかいたり、人を不快にさせたり、困るのはこの子たち




などなど、挙げればキリなく出て来ます




モラル?
マナー?
常識?

この際、括りなんて何でも良い

《大多数の人が快適に心地好く過ごせる環境》

それを考えられる人に、考えなくても当たり前にできる人になって欲しいなと

ありのままの自分で生きつつ、思いやりを持って人と関われる大人になって欲しいなと




日本人のきめ細かな気配りの文化は世界的にも評価されています

東日本大震災の時の日本人の秩序を守る姿勢、自分も大変なのに人を気遣う日本人の姿勢は世界中から称賛されました

しかし、残念ながらこのままでは時代の変遷と共に永く培われたこの奥ゆかしく思いやりに溢れた風土は廃れて行くでしょう

私たちは日本人

幼少の子供たちに、私は日本人の素晴らしさを、日本人として生まれたことを誇りに思える生き方を【所作】を通じて伝えていきたい

授業の内容を想像しながら、そんなことを考えていたのでした

SMILE FACTORY
佐藤