今疑われてる病気が2つあって、AとBだとする。
今はまだどちらかわかっていないので、治療は開始できず、放置されてる状態。
Aの方は薬で治療できる病気。私はAじゃないかな、と思っているんだけど、

まだ確定できる証拠がでないので、耐えなくてはいけない。

問題はBの病気。

進行が早く、放置すれば1年以内に死亡。

Bの病気を否定するためにも、早急に手術しろとお医者さんはいうわけだ。

AとBでは治療のアプローチが全く違うので、とにかく手術する必要があるらしい。

私はそれを拒否しているので、

手術以外の検査をちまちまし直したりするしかすることがない。

それで結果がでないので、このつらい状態をずーっと延長している。
つらいんだけど、自分がそれを選んでいるともいえるからしょうがないのかもしれない。

海外であれば、Aの方向で治療を試すということをしてくれるらしいんだけど、日本は診断がでないのに治療を開始することをしないらしい。

それで毎日病院で脅され続けてる。
「本当にいいんですか?Bだと早いうちにわからないと手遅れですよ!」
とか言われる。

「手遅れでも構いません。切りません」と私がいうので、あちらも面白くないらしく、

あの手この手で攻めてくる。ありとあらゆるマイナスのことを言われる。

余命いくばくもない感じ。

お医者さんは患者さんにちゃんと希望の話をしなくちゃダメだと思うよ、と思いながら聞いてる。
死亡率の話ばかりしたってしょがないじゃないか。


もしもBだとしても、私はお医者さんのいう方向での治療をしようとは思っていないので、

判別する必要はないのだ。

そもそもなんでこちらの意志を尊重してくれないのかなと疑問に思う。


私は小さな頃から身体が弱かったし、

あまり長く生きる実感もなかった。

言ってみればそんなに死に抵抗がない。

命は神様が決めるものだし、命の分だけしっかり生きればいいんだと思う。

ひねくれてるかな?


もちろん死ぬことも簡単なことではないし、きれいごとじゃない。

同時に一生懸命生きることも簡単なことではない。

死は時に理不尽だし、予測できない。

今回の地震でもたくさんの人たちがなくなった。

きっとそれぞれに、大切な人たちがいたはずなのに。


本当に世の中にはよくわからないことがいっぱいある。


私は

家族にも友人にもとっても恵まれた。

くまさんにもとっても愛されていて幸せ。

仕事が大好きだし子ども達からもとっても愛されてる。

抱えきれないほど多くの喜びをいただいたと思う。

女としてもフルムーンだよ。

こんなにいっぱい持っているのに、

もっともらってもいいんだろうか。



色々考えてたの。

くまさんと一緒に生きるって決めたのに一緒に年をとれなくなったら悲しいな。とか。

くまさんの赤ちゃん、欲しかったな。とか。

大好きな人がいなくなったら子ども達淋しがるなとか。

家族や友人を傷つけるかなとか。

苦しい状態になってからほぼ一ヶ月。


くまさんが一言言った。

「うさぎを失うのが怖い」と。


私の選択を尊重して

彼は今まで一言もそんなことを言わなかった。


私をいつも守ってくれる彼は強くて、

優しくて。

そんな彼が怖がってるなんて思いもしなかった。


大事な人が辛い思いをしているとき、

それをどうにもできなくて見守ることが

どんなに苦しいことか

知ってたのに、

私全然わかってなかったしょぼん

自分のことで精一杯で、何にもわかってあげられなくてごめんね。


彼のためなら、

どんなに嫌なことでもできるって思った。



きっとそうやってみんな闘っているんだね。