『1リットルの涙』木藤亜也

を読んだ。
難病の女の子の闘病日記だ。

「病気は、どうして私を選んだのだろう?」
泣けました。
現実の体験は重さがあって、
拙い文章の中にとてつもない苦しみがにじんでいた。

15歳から25歳。
治療のできない難病で、
意識ははっきりしているのに
どんどん身体の機能が麻痺していく病気。

その中で、生きようと必死で、
動かない自分の身体に
鞭打ちながら、もっともっとと生きている。

自分のことを役に立たなくてどうしようもないとか、
ちっとも頑張らなかったとか、
ひどい鞭打ちようなんだけど。。。

生きようとするだけで、とんでもなく頑張ってるし、
彼女がそばで生きることで、家族や周りの人に大きなものを与えているし、
そしてなくなった今も、
本やドラマで日本中の人に命とは何かを問いかけている。

すごい人生だと思う。

生きたいという強い気持ちを全然失わずに、
闘い続ける。
しょっちゅう泣いちゃうんだけど、
泣いたっていいじゃない。

とうとう歩けなくなって、這ってトイレにいくとき、
後にお母さんも泣きながら静かに這っていたという。。。
母親は子どものことをいつも自分の苦しみのように
感じるんだ。

私は彼女本人にも共感したし、また彼女の兄弟にも共感した。
彼女の妹は
途中で事故にあって入院が必要になるんだけど、
「お母さんごめんね」
と言ったという。

そこに、
姉が障害を持ち、それを命がけで支える母親を見ている
妹の、「自分は決して迷惑をかけてはいけない」という思いが見えた。

子どもが病気になるということは、
家族の全てがその子中心に当然のようにまわるのだ。
兄弟は母親が命をかけてその子を救おうとしていることを感じ、必ず一歩下がる。
兄弟として自分は両親に迷惑をかけないことや、
その子を母親と一緒に守らなければと思ったりする。
子どもであることを捨てる。
父親はがむしゃらに外に出て働く。
この本にも父親は一度っきりしか出てこない。
母親とすぐ下の妹が交代で彼女のお風呂を手助けする。

無邪気になんていられるだろうか?
そばで両親の苦しみを見ていて。
兄弟たちはやわらかい時期に、
病気や、家族の苦しみや、悲しみも全て
吸収して大人に成長するのだから。
妹さんは結局看護師さんの道に進んだらしい。
彼女もまた、大きな苦しみを乗り越えなくてはいけなかっただろうと思う。


障害や病気はギフトでもあるという。
与えられた家族はそれによって
大きく成長させられるから。

私はそれをとてもよく知っている。
障害を障害どころかギフトに変えて、
より高みにのぼり、
しあわせをそこらじゅうに配ってる人間を良く知ってる。
彼はきっと確信犯。
選んで生まれてきてるって周り中を納得させるまでになってしまった。

私もこのギフトを
喜びに変えて、
たくさんの人に配ることができるだろうか。