物心ついたときから、母は頼りにならない人だった。

 他人に攻撃されたくないがために卑屈に振る舞うことでストレスを溜め、自信の無さを恨みに変えて娘にぶつける。ぶつけたことで罪悪感を感じ、惨めな自分を憐れみ、また恨みを募らせる、そんな人だった。

 娘の私としてはそんな人間でも唯一無二の母親なのだから、常に顔色を伺い気分を読み、期限を悪くさせるものは極力排除し、八つ当たりは黙って受け入れる、そういう生き方をせざるを得なかった。

 成長して、そういう生き方が身についてしまったせいなのか、今のわたしは頼りにならない人ばかり周りにやってくるようになった。

 大切なパートナーと支えあいたいのに、寄りかかられるばかりで支えてもらえない。
 相手の事情がわかるからこそ、甘えることが出来ない。甘えられない。電話もかけられない。メールも許してもらえない。

 誰にも頼れない。私には何をしても許されるらしい。足を踏んでも無視しても殴っても八つ当りしても、何をしてもいいらしい。

 誰も頼りにならないから、わたしは自分の体重を持つことすら許されないのだ。

 死にたいと思ったら、食事を抜くことにしている。

 死に方の中でも、餓死が最も綺麗な死に方だと聞くから。


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 本当はずっと、支えあいたいと思っている。

 我慢し続けるスタイルは馴染み深く楽だが、それは間違っていることを人生が教えてくれた。

 一方的に寄りかかるのでなく、我慢を強いるでなく、対等な人間として支えあうこと。

 それを望んでやまない。