チッキンな私が、「正々堂々」な男になるために「創価学会」の勉強をしているのは御存じだとおもいます。


そこで、この仏法の基本である「御本尊様に題目を唱える」ことを仏法の基本で、それさえできれば宿命が変わる??と創価学会の方はいいます。。


そういえば前にも、「正々堂々」なる「創価学会」に恐れ多くも反抗するブログを書いているペタしてね反創価さんのところに書いてあったような気もしますが。。


素朴な疑問です。。


創価学会で発行している、緑色でペラペラし、一説には「偽本尊」といわれる学会版「御本尊様」に題目を唱える


のと


日蓮正宗総本山大石寺の奉安堂に安置される、日蓮大聖人様が「出世の本慨」としてあらわされた弘安二年十月十二日、願主「弥四郎国重 法華衆」の「戒壇の大御本尊」様に題目を唱えるのではどちらが正しいのでしょうか??


それともどちらも平等(爆)なのでしょうか??



この不安が解消されないと、怖くて「偽本尊」様にナムナムできないとおもうのは私だけでしょうか??