お久しぶりです。


久々にPCの前に来たので久々に記事にします。


今年は、御法主日如上人様の御言葉の如く、相手のことを真剣に想って考えて、「慈悲の心」をもって、本尊・法に迷う人々(特に創価学会員)がいれば、法華本門の唯一の本尊である、本門の戒壇の大御本尊様の前にお連れしたいと考える所存です。


学会員をののしるのではなく、本尊を迷いに迷ってわけがわからなくなっている状態から一刻も早く抜け出し、本当の功徳である「即身成仏・六根清浄」になれるよう応援するつもりです。


厳しく謗法を挫き、真の法華本門の題目をあげられるよう努力したいと思います。


個人的に現実社会では、我寺院青年部の陣営も一新して、創価学会員宅訪問対話2000軒という目標と、正信会の僧?に対する折伏が今年の課題です。


2000軒訪問で、少しでも学会員を救えるように日々の修行を根本にまい進するつもりです。


このブログは、その訪問のための資料的なものになるとおもいます。


ここで学会員の邪義を破折して、実社会で邪義を言われた時にすぐさま破折できるようにしたいです。


それと今年は米子へも行きたいと思います。


やはり知盛氏はどうしても救わないと。。


それと直接はできるかどうかわからないけど、日顕御隠尊猊下の思いを少しでも感じれるよう、池田氏を救えるように唱題をより多くやりたいと思います。


今後もよろしくおねがいいたします。



そこで復帰一発目は、知盛氏がよく自らのブログで吠えている「坊主の妻帯から邪宗になっていった」論を樋田さんが破折したのでその文を引用しときます。



ここから引用






(無題) 投稿者:旭 投稿日:2010年 1月13日(水)01時01分26秒 proxy20029.docomo.ne.jp   通報 返信・引用
樋田さんの破折文を引用


まず【僧侶の妻帯について】
―――――――――――
1、日興上人の『弟子分本尊目録』に、

■「同國高橋築前房の女子、豊前房の妻は、日興の弟子なり。仍って之を申し與う」(歴代法主全集1-93)

とあり、宗開両祖の時から、御弟子の中には「妻帯僧」がおられたことがわかる。
これは大聖人が妻帯を許されていたという証拠である。

今回【補足】

同じく「弟子分本尊目録」には
■「岩本寺住の筑前房は、(豊前公同宿也)日興の弟子なり。仍って申し與うる所件の如し。但し聖人御滅後に背き了ぬ。」(歴代法主全集1-91)
とあり、この二つの御記述から以下のことが分かる。

① 筑前房は、大聖人御生前中から日興上人門下であった。
② 女子がいた。→妻帯していた。→大聖人は築前房の妻帯を許されていた。
③ その妻帯僧である筑前房に日興上人は御本尊を与えておられた。
④ その筑前房と同宿であった豊前房は築前房の子である女性を妻としていた。
⑤ 日興上人はその妻帯僧である豊前房を御弟子として認められておられ、御本尊も授与なされていた。

一方日興上人は御本尊はどのような方に授与されていたかといえば、

■日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり。
  本尊人数等、又追放人等、頚切られ死を致す人等。(富士一跡門徒存知事    延慶二年)

つまり、妻帯していようがいなかろうが、■「身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、」授与為されていた。

以上の事実から、大聖人も日興上人も妻帯の是非云々よりもむしろ重要な点は、不自惜身命の信仰を貫き通すことに主眼をおかれておられたことが明白である。

http://8223.teacup.com/koumanoken/bbs/50532



以上


つまり、創価学会が言う「妻帯の坊主は謗法」の論は破たんしたことになります


大聖人様御来世時のことなので、大聖人様・日興上人様を破折してからブログにアップしてくださいね知盛さん。


いい加減、嘘の多い創価情報をうのみにしないで、両側の情報を比べてみては??


そして今からでも遅くないですから、あなたの真の故郷である大石寺にある、本門の戒壇の御本尊様のところに戻ってきてはいかがですか??