自分の所属する末寺では平成12年に信徒の数が一気に増えました。
それはやはりこれがおおきかった。。
戸田幾さん死去!!
創価学会二代目会長の戸田城聖氏の御婦人である!
戸田氏といえば、日蓮正宗総本山大石寺のなかでも信徒としては特別に五重の塔のふもとにお墓があるように、日蓮正宗の歴代信徒の中でも、ものすごく布教に貢献してきた御仁である。
こちらはそのお墓である!!
猊下様はじめ、昔学会員だった人が数多く供養しています!!
学会員は自分たちの師(池田氏)が命をかけて守ったという戸田氏の供養にはこないのですかね??
それはそうと、戸田幾さんのなくなった時の出来事です!
http://sudati.iinaa.net/toda/iku.html から引用
平成12年3月6日、創価学会2代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾(いく)さんが逝去されました。享年89歳。
お通夜ならびに告別式は、3月12日、13日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛(げんしゅく)に執(と)り行なわれました。
戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号であります。
幾さん逝去の報をキャッチした創価学会では、最高幹部2名を戸田家に送り込んで、日蓮正宗で葬儀を行なわないよう懇願。しかし、この企(くわだ)ては、子息・喬久氏(城聖氏長男)によって退(しりぞ)けられ、正宗での葬儀執行となったのでした。
戸田家に近しい人の話によれば、喬久氏は常日頃から、
「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」
と語っており、さらに、
「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、1度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」
「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似はできない」
と話していました。
すなわち、城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和33年4月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。それ以来、4月2日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきたのです。
また、今回、正宗での葬儀が実現したのは、何といっても、幾夫人ご本人の生前からの強い希望によるものでした。
幾さんの逝去後、週刊誌に幾さんと、ある男性との会話のテープが紹介されました。そこに、池田創価学会に対する幾さんの率直な気持ちが語られています。
〈男性〉 池田さんて、悪いやつです。すごい悪い悪人です。金だけ集めている。
〈幾さん〉 ほったらかしておいた方がいいのよ。(あなたも)あまり真剣にならないで、今に分かるから。必ず分かるから。
〈男性〉 罰が出ますよ。御本尊様に背いた罰がね。
〈幾さん〉 もう罰があたっているのよ。お子さまを1人亡くしているでしょ。
〈男性〉 私は、池田大作という人物は大悪党だと思っています。
〈幾さん〉 みんなそう思っているかも知れませんよ。
告別式において、最後のお別れに臨んだ参列者達が目にしたのは、逝去より1週間を経(へ)てもなお、生前と変わることなく、安らかに眠る、幾夫人の素晴らしい成仏の相でした。
なお、創価学会2代会長夫人の葬儀に、池田大作は欠礼。秋谷栄之助、和泉覚、粕原ヤスら、学会最高幹部30名が参列し、細井尊師の唱導のもと、共々に日蓮正宗の導師曼荼羅(まんだら)に手を合わせていました。
以上
戸田氏が生前、創価学会は日蓮正宗の信徒!!御山が一番!!私は創価学会の信徒ではない!!
といっていたとおり、その想いを一番わかっていたのは池田氏!!ではないですよね??
一番近くにいて、一番背中をみていた御婦人と長男氏!!
素晴らしいですね!!
師である戸田氏の思いを受け継げないのにどこが師弟不二??
師匠である池田氏が自分の師に対してこういう風に思っているのですから、いくら師弟不二を唱えてもね~~
年配の方が多い会員の家を回る時は、この話をしますが、今の学会員はすでに戸田氏は方便の人!!みたいです。。
戸田氏の功績は、三代目会長によってはかないものにされました。
それでもおいらは、戸田氏のことを知っている学会員に、この資料をもって、再び、法華本門の戒壇の大御本尊様のある寂光土、大石寺に参詣できるように手引きしたいと思います!!