生死一大事血脈抄/文永九年二月十一日 五十一歳御作

 御状委細披見せしめ候い畢んぬ、夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり~中略~生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり、委細の旨又又申す可く候、恐恐謹言。


「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とあり、これを学会が主張しますが、この文の直前に「生死一大事の血脈、此より外に全く求むることなかれ」とあります。
この文と、冒頭文を考えれば、生死一大事の血脈とは「宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経」であり
宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経とは、「文底の寿量品」であり、文底の寿量品とは、「弘安二年の御本懐」です。

よって、この信心の血脈は「戒壇の大御本尊様」にかかるのであって、創価学会には信心の血脈さえもないことになる!!

つまり、いくら自称「大聖人直結」「信心の血脈」云々いっても、きちんと御書を拝すると、学会の言っていることが支離滅裂になる!!


もちろん、他に求める(ゲーテやナポレオンの言葉)指導になり下がるのも論がい!!


血脈を否定!!しているくせに何故か「信心の血脈」を否定しない。。が、よく御書を拝すると、この「信心の血脈」が三大秘法である「戒壇の御本尊様」にかかってくることから、すでに「戒壇の御本尊様」を持っていない、ましてや、自家製の「偽本尊」へ帰命しているわけで、「偽本尊」に血脈を通わしている始末。。



つまり、大聖人様の仏法(御本懐)に対する創価学会の「信心の血脈」はない!!



本当は、北のアル酎が、「小樽問答」「小樽問答」ってうるさいからそちらの記事をかこうとおもったが、そちらを書くと、アル酎がせっかく有頂天になっているのを邪魔しちゃ悪いと思って控えております。


もし、 「小樽問答その一」・・・宗門僧侶と創価新報の嘘編 「小樽問答その二」・・・小樽問答の内容は創価学会を木端微塵に破折編


の記事をみたい人がいましたら、書こうと思います。