来し方 | 【三國志online】曲長の無駄話【泰山魏】

来し方

初めてキャラを作ったのは、廬山だった。


数日後、橘と2人で泰山に来た。


魏に仕官した。 


MOBにビクビクしながら豫州を走り抜け、許昌へたどり着いた。


部曲を作った。


「三頭猟戌」、と名付けた。


合戦に出た。


簡単に倒された。


魏には、強くて大きな部曲がいくつもあった。


1時間ほどで終わる合戦の後には、数時間かけた会議が行われていた。


その中心にいたのは、徳田さんだった。


魏は、他国に人数で大きく劣っていた。


それが理由なのか、1つの作戦にほとんどのプレイヤーが乗った。


掛け声があった。

「オッス オッス」。


駆けていく魏軍を、必死に追いかけた。


楽しかった。


兄貴が休止を宣言した。


兄貴を先頭にした、長い、長い列に加わった。


豆屋ひよこさんと知り合った。


そして、天下布武の方々と知り合った。

連合を組んだ。


敵の城門の前で、味方の虎戦車から全員焼き殺された。


呉が強かった。

魏は以前にも増して、人が減っていた。


三頭猟戌の稼働率も落ち込んだ。


苦戦した。


音緒に、第一節で部曲を閉める意思を伝えた。


「私はもう少しやろうかと・・・」と、音緒は言った。


この時、決意した。


蜀が強かった。


追撃をギリギリでかわして、魏が優勝した。

三頭副長の香橘、天下布武2代目曲長の葉緑体さんの2名が、引退を決した。


威儀さん、風華鈴さんと3人で、ネットラジオをした。


許昌の宮廷前に、「WIN」の文字を献身で書き出した。


涼州が実装され、同時に表彰式があった。


特設櫓に上がった徳田さんの姿を、遠く感じた。


「上野やる気出せよ」 徳田さんが直接的なメッセージを櫓から放った。


深夜、泰山サーバーだけがダウンした。


久羅そして豆屋ひよこさんと共に、廬山で雑談をしながら泰山の復旧を待った。


蜀が強かった。


呪詛散布が強かった。


瑛彩、涼純を始めとする、数人の新人が加入した。

第二節が始まった。


蜀が強かった。


呪詛散布に下方修正が入った。


しかしまだ蜀は強かった。


2回目のラジオをやった。


天下/三頭の連合は、「電波連合」と名乗るようになった。


魏は負け続けた。


電波は、初めて突撃連合のスタイルで戦ってみた。


合戦後、このスタイルで行くのかどうか、連合内会議をした。


魏は負け続けた。


どうにかしようと、誰もが考えた。


いろいろな案が、いろいろな所から出た。


水鏡で、見かけない魏民を見た。


新規プレイヤーに、アイテムを配っていた。


蛮さんだった。


それぞれが、それぞれに必死だった。


魏は負け続けた。


城から出られない日々が続いた。


大規模連合の必要性が叫ばれた。


電波とえあ連で、一緒にやってみようという話になった。


うまくいかなかった。


国全体でもっと人を増やそう、という話になった。


とりまる連合が、祝福と神の護りを周囲に振り撒き続けていた。


楓さんが、関での大規模な兵器待ち伏せの策を打ち出した。


ひさしぶりに、勝った。


年が明けた。


呉が強かった。


呉と蜀が、制覇を争った。


魏は相変わらず、負け続けた。


呉が優勝した。


耐え続けた部員には、悪い事をしたと思った。


引退や移籍を、止めようとは思わなかった。思えなかった。


しかし、ほとんどの部員は三頭に残ってくれた。


そして、さらに部員が増えた。


第三節が始まった。


邪気連、りふぃ連、鬼神連合を中心に、魏がスタートダッシュを決めた。


三頭が、部曲順位の1ケタに載った。


部員全員が、喜んだ。


部内に役割を作った。


全員が、全員の為に動いた。


AIONのサービス開始に、にわかに全体の人数が減った。


三頭からの流出は無かった。


週末、ネカフェに篭ってレベリングをした。


椅子をブースから放り出し、中腰の姿勢でプレイした。


初めて、部曲1位を獲った。


砦に集まって、記念写真を撮った。


実装されている全ての客将を国内に呼ぼうと思った。


邪気眼さん、蒼波の情熱さん、毛一族さん、龍閃組さん、曹魏社会人組さん等、いくつかの部曲で試験納入をした。


結論として、膨大な物量が必要となる事がわかった。


「集めようじゃないか」と、部員が動いた。


その過程で、碧陽重嘉が軍略から「飾り鎧」を持って帰ってきた。


砦に祭壇ができた。


金沢遼が、武将模型を次々と入手し、砦に並べていった。


蛮さんから趙健さんを紹介され、魏志東夷伝さんとの付き合いが始まった。


東夷さんが電波に参加する際には、電波は第二連合にまで人数が及んだ。


威儀さんと風華鈴さんが、VCを用いた指揮系統を確立してくれた。


三頭生産部が、合戦のたびに消費アイテムを1銭で連合内に販売した。


自分はただ、盟主の指示に「おk」と返したりとか、何か鼓舞するような一言を吐くぐらいしかできなかった。


対話が増えた。


楓さんから、「最近、三頭すごいね」と言われた。


蛮さんから、「馬さんなら大丈夫」と言われた。


趙健さんから「馬さんのようになりたい」と言われた。


いろいろな、もったいない言葉をいただいた。


電波の主役は三頭では無いし、三頭の主役は自分では無いと思っていた。


同時に、自分が曲長である自覚もあった。


第三節の終了を控えた頃、三頭をどう閉めるべきか考えた事があった。


しかし、どんな形であれ、部員をたとえ1人でも放り出す気にはなれなかった。


結論は、1年前に出ていた。


音緒から、「私はまだ続ける」と言われた時に出ていた。


最後までやろう、と思った。


やがて部員が1人減り、2人減り、部曲が仕様上の存続不能状態になるまで、自分は続けようと思った。


自分が三頭猟戌の曲長であるから、立ち去るのも自分が一番最後であるべきだと、そう思った。 そう決めた。


第三節、魏は優勝した。


表彰式で、三頭猟戌が泰山魏の総合3位に入った。


第四節開始の直前、スタートダッシュに景気をつけようと、温めていた客将計画を実行しようと思った。


しかし、直前で納入カテゴリの仕様が変わった。


同じ頃、倉庫枠が増える修正が入った。


嫌な予感がした。


電波連合は、1つ減った魏の連合の中で、繰り上げ的に第三の連合となっていた。


勝ったり負けたりの日々が続いた。


5月の初旬、所用で関東から東北へと動き、出先のネカフェからINしてプレイした。


そんな時でも、部員たちは地道に自分たちの役割をこなしていた。


地元に戻った。


そして、目を疑った。


三國志online、サービス終了の知らせがあった。


狼狽する声を聞きながら、しかし自分にはそうしている暇が無かった。


やり残したことがいくつもあった。


客将計画を発動した。


数日間に渡って、明け方まで及ぶ納入を敢行した。


冗長な時間に、多くの協力者たちが付き合ってくれた。


そして、総ての客将を魏国内に呼んだ。


栽培部が、最後の活動を開始した。


そして、相当量の交換アイテムを作り出した。


模型部が、まとめて実装された武将フィギュアのことごとくを入手して、砦に並べた。


生産部が、あらゆる高級素材を駆使して、高級アイテムの大量生産に入った。




「無意味だ」という言葉をどこかで聞いた。


しかし自分には、そうは思えなかった。


愛しているもの、大事にしているものを失うのは、これが初めてという訳では無かった。


失うたびに、何かが残り、何かが生まれる事を、自分は知っている。


だから、


意味は自分で見つけ出す。


だから、


限界は自分が決める。


だから、


三頭猟戌は、最後まで三頭猟戌であり続ける。




そう決めて、7月19日を迎えた。