”ゲイのカミングアウト” | ぼうけんのしょ

ぼうけんのしょ

L□∨Ε...φ( ̄▽ ̄*)ポッ


 

続きです。

 

私の疑問というのは、大きくまとめると、

「ゲイの人がどうしてカミングアウトしなければならないんだろう。」

というところですが。

 

まず、したくでもできない状況というのは、あるとわかってます。法律的にも社会的にも、ゲイの人の存在や立場を認める法律などが存在しないためです。

 

 

その状況がある以上、カミングアウトしたくてもできない、という悩みは理解しています。

 

ですが、「職場でどうしてもカミングアウトしなければならない。」というのは、直接その問題に関与していないと思ってるわけです。

 

つまり。ゲイの方の権利や立場を尊重する法律を作る方向へ働くべきであって、それを、カミングアウトしたくでもできないことの鬱憤とを、混同してしまうと、うまくいかないだろうと思ってるんですよね。

 

ただ、戦い方にけちをつけたいわけではなく、戦い方を考えなければ、より多くの疑問を、ゲイ以外の人にも抱かせるだろう、というところです。

 

職場で、私は、他人がゲイであるかどうかに、全く関心はありませんし、そもそも結婚や彼氏彼女ステータスをこちらから聞くことが、すでにセクハラになる可能性がありますんで、聞きません。

 

そういう私ですんで、私のことを理解していないゲイの日本人の方は、非常に私と話をして、怒り狂ったんでした。

 

ドイツ人との会話の続き。

 

私:

「たとえばね、私はゲイなんです、と職場で表明することというのは、『私はSM好きです』と表明するのと、近い感じがする。なぜなら、どちらも、性的マイノリティだから、という意味でね。そしてそれを言ってしまったんだよね、そのまま。そうしたら相手は非常に怒って、『ゲイを変態性癖と一緒にするなんてひどい!それこそが差別的な見方だ』と怒っちゃったの。」

 

ドイツ:

「SM好きが変態的だという発想は、あるよね。でも、だからといって、それを変態的だと決め付けることも、ドイツではないかな。普通に会話されるわけではないけれども。

でも、ゲイ=SM好き、ということでは、もちろんないし、典型的な理解力の不足した会話だね。

 

ゲイかどうかという会話もまた、いまだにセンシティブなところもある。けれど、僕は普通に、ゲイであることを友人や、君にもためらいなく話せた。それは、経験的に、君が宗教的な人間ではないし、差別的ではないと推察できたからなんだ。

明らかに、差別的宗教的なタイプの人に、自分からゲイだと話すことは、ないよ。そして、それが理解できない場では、慎重になることはなるよ。」

 

私:

「私にとってみたら、SM好きなのは、変態の範疇に入らないんだよね。私が言いたかったのは、単なるひとつの性癖、性的マイノリティだということであって、ゲイが変態的という意味では言っていなかったんだよ。

どちらかというと、SM好き=変態という発想のほうが、性的マイノリティを差別していると思う。私にとって見たら、SM好きは、単なる好みの問題であって、男が好きだろうと女が好きだろうと、それと違いがないんだよ。全て変態ということじゃなく、それぞれの好みの問題。」

 

ドイツ:

「相手にしてみたら、君がそういう考え方であることを理解していないので、君の言葉を誤解したんだろうね。しかし、性的マイノリティ同士が差別をしあうことも、当然ある。SM好きなんかと一緒にしないでくれ、というのは、SM好きを軽蔑しているからだろう。でも、君自身が、非常にラディカルだということもいえる。君のラディカルさが、相手に理解されていたら、普通に会話は終わったんだろう。」

 

私:

「でもね、それもまた、悲しいことに、冷静に会話することもできないという状況に、彼がいるということが問題なんだよね。あなたとはこれを、自由に会話することができるし、私があなたを異常に気をつかって、尊重しての会話をしなくても済む。しかし、日本のゲイの人とは、異常に気を使わないと、話ができないという部分もあるんだよね。だから、ゲイの人のカミングアウトのしづらさは、結局、自分だちでも作り出しているということもいえる。」

 

ドイツ:

「ゲイの権利をまず確保したのだったら、もう少し冷静に会話ができるんだろうね。」