前回の続き。


前編を書いてから、

あらゆる過去にあった、

自分も、他人も、色んな人と人の会話や事象について当てはめてみたけどね。


ほぼ、やはりこれで説明がつく。



勿体ぶっても仕方無いので、

早速本題に入るけど。


前回の写真でピンと来た人もいるかも知れないが。





こんな人とは付き合わないほうが良い。

こんな人とは上手く行かない。

こんな人はトラブルになりやすい。

こんな人にはストレスをかけられやすい。

こんな人とは話が噛み合わない。

こんな人とは常識や正義が違う。


それを一纏めにした、

人間の真理。


それは、


他人を減点方式で評価している人


である。


逆に、付き合うべき人、

周りに居てもらいたい人は、


他人を加点方式で評価している人


である。



加点方式で生きていれば、

基本的に

他人の良いところ。


お世話になったところや

自分の為に骨を折ってくれたこと、


と、他人の良いところに目が行く


だから、

減点ポイントがあっても、

ミスがあっても、


客観的に見て、許せたり、相殺出来たりする。


「あの時は助けて貰った」

「前はこんな良い発言してた」

「本当はこういう風に考えてくれているはず」


と。


完璧な人間などいない。


だから、評価は、良いところ、加点方式で見なくてはいけない。



簡単な話


『この人はこんなに○○(良い所)してくれる』


というタイプか


『この人に、こんなに●●(嫌な事)された』


というタイプかを見極めれば良い、





例えば、

めったにセリフをミスらない役者が、セリフを失敗した時に、


『本番で失敗するやつはプロじゃねえ!』

と怒鳴るか、

『え? ミスするなんて珍しいね。何かあった? 大丈夫か?』

と心配出来るか、の違いである。


例えば、

何か大失敗をして、言い辛いのに、それでも発信をした人に対して、

『あんな事をしておいて、どの口で発言出来るんだ』

と言うか、

『あんな事をしちゃったのに、良く頑張って発信したね。怖かったのに、勇気を出したんだね。』

と言えるか。


例えば、

「これはもうやらないで」

と注意を受けて、その後改めて、やらなかった人に向かって、

『あの時、私が嫌がるあんな事をした。』

と、過去のミスに言及するか

『あれ以来、キチンと直してくれた。』

と、その後の事を評価するか。



他人を減点方式で見ているヤツは、基本、他人の良い所を見ていないので、


「良いことをして貰った」= プラマイ0

「特に何もしていない」= プラマイ0

「嫌な事をされて」= マイナス●点


で、マイナスポイントだけが、徐々にストックしていく。


つまり、

会話などほとんど交わさずに、深く関わらなければ、良好な関係を保てる。単純に減点の確率が減るからね。


しかし、矢面に立ち、なんでも言い合おうとすると、関係は悪化する。マイナスポイントだけが蓄積していくのだから当たり前だ。



他人を減点方式で見ているヤツは、

普段から相手の良い所を見ていない。

だから、他人の善意や、影の努力に気づきにくい。


僕も結構経験は多い。

これだけ、この人の為に、めっちゃ骨折ったのに、こんな事言われるんだ。

ってこと、みなさんも多いと思う。


そんな時、自分の存在、自分の価値、自分の言動、自分の振る舞い、など、振り返るのだが、、、。


例え一理あることはあっても、

やはり、到底納得が行かないことが多い。


そんな度に、

「僕は(私は)向いていないんだ」

「僕は(私は)まだ足りていなかったんだ」


と思わないで貰いたい。


相手が減点方式で他人を評価する人であった場合、

あなたの頑張りも、

あなたの努力も、

あなたの善意も、


相手からすれば、

「プラマイ0」

「ふつう」

なのだ。




他人を減点方式で見ているヤツは、他人を傷つける正義を振りかざす事が多い。


基本、評価基準が、

「自分が嫌な思いをしたかどうか」

「自分が不利益を被ったかどうか」

である。


だから、

局地的な「不愉快」に対してキレるし、

不寛容だし、

被害者ムーブが強い。


Twitterで、暴言、攻撃、誹謗中傷をするタイプの人間は、


まぁ、総じて、間違いなく、

他人を減点方式で見ている人で間違いない。




自分が嫌な思いをしたり、言われたりした時に、


『あの時、ああしてくれたし、今回の事は大目に見ます』

『あなたはそんな事をするタイプの人じゃ無いでしょう』

『○○(良い所)なあなたが、そんな事を言うなんて、らしくないですよ』

『あなたのことは好きなので、お別れするつもりは無いけど、そこは良くないよ』


こんなタイプの言葉が

到底出てこなさそうな人間。


は、


他人を減点方式で見ているヤツです。




上手くいく夫婦は、

どちらも他人を加点方式で見ている夫婦。


嫁が減点方式だと、

『夫は育児、家事の邪魔』

『家事、育児の大変さを思い知って欲しい』

とかのツイートをリツイートしたり、イイネするわけだ。


夫が減点方式だと、

『外で仕事をする大変さをわかってない』

『誰のお陰で飯食えてんだ』

とかのツイートをリツイートしたり、イイネするわけだ。


んで、加点方式の方が、

大人に、寛容に、

相手の良い所を見て、

言い返しても良いけど、まぁ、我慢しとこう。

となるわけだ。


僕は、片方が減点方式、共に加点方式の夫妻を沢山知っているが、

まぁ、分かり易いほど明らかである。



こいつこんななのに、良くあの夫妻上手く行ってんな


みたいなのって、

大体相方の方が

「相手を加点方式で見ているタイプ」

だから、


この彼(彼女)の言う

『悪かったよ、ごめんね』

は、

『普段からこれだけやってくれてるし、世話を焼かせてるし、ここでこちらが言うべきことじゃないな』


からの

『ごめんね』

なのであって、


『仰るとおりです。僕(私)が間違っていました。スミマセンでした。』


ではない。


しかし、減点方式で見ているヤツは、当然そんな事に気づきようもない。


『僕(私)が嫌な思いをしたのだから、謝って当然』


なのだ。


だから、

『ごめんね』

も、

「間違いに対する謝罪」

と捉えるわけだ。





もう一つ、

他人を減点方式で見ているヤツの特徴として、


自分が他人に不利益を与えている

自分が人に嫌な思いをさせている

自分が他人に羨ましがられている

自分が他人に疎まれている

自分が人に嫌われている

自分が人から気を遣われている


こういう様な意識が無い事が多い。


簡単である。


マイナスストック、マイナスポイント以外は、どんなプラスも恩も善意も

ふつうの事

なので、


それが、当たり前。それが、デフォルト。それが、日常。


結果、他人が抱く自分への感情も、

ふつう

でしかない。


自分が色んな人の思いやりの上に成り立っている事など気が付かないし、

自分が他人に嫌な思いをさせている可能性があるかも、などという事は脳裏にもよぎらない。






面白いほど、いろんな事象に当てはまった結論だった。



頭が悪くないヤツが、

「頭悪いなぁ」

という発言をしちゃうのも、


頭は悪くないのに、理論破綻してんなぁ

話が噛み合わないなぁ

となるのも、


加害者のくせに、被害者ムーブで語りだすヤツラも、


その人が、

頭悪い訳でも、

頭がオカシイ訳でも、

異常者な訳でも、

ありません。



全ては、


『他人を減点方式で評価するタイプの人間だから』


であり、


従って、そのように派生した

のである。


これで、全てが納得がいく。




身の回りの上手く付き合えない人は、


あれ? この人、もしかして減点方式?


と、注視してみると良いでしょう。


ボロボロと、


「あ、減点タイプだ」 

と分かると思います。



そして、それに確信がもてたら、




付き合わない。

近づかない。

深く関わらない。


方が無難です。



人は、

お互いの良い所を認め合い

お互い欠点をフォローし合ってこそ、

共に笑っていられるのだから。



そして、



これからの人生。


僕はこれを徹底する事に決めましたから。




壁に当たった時に、


自分の納得がいく、


揺るぎない、人生の指針を導き出さなくてはいけない。


二度とその壁に当たらないように。



そうして、五日間引きこもって、


理論で導き出した、


僕の答えでした。



一つのポイントだけ注視していれば、

付き合うべき人間か、

そうではないかが分かる。


そんなの、

真理

といわず、なんと言う??





では、最後に、

お気に入りの

マーク・トウェインの名言で締めましょう。


加点方式の鏡の様なお言葉




正しい友人というものは、あなたが間違っているときに味方してくれる者のこと。


正しいときには誰だって味方をしてくれるのだから。



普段から加点方式で相手を見てないと、

こんなの不可能です。


つまり。


それが、正しい友人、ってこと