今日はなかなか、ハードな内容になりそうです。


なので、和らげる為に、

先週、放映開始10秒でナゾに投下された、ライザの太ももをどうぞ



どん




    




さて、、、



ロシアの戦争に始まり、

鬼の岸田の大増税、

自民党女性議員の税金でのフランス旅行、

WBPCの公金不正請求疑惑、

不祥事常連の日大の大麻事件、

ジャニーズ性被害問題、

そして、ビッグモーター事件と、、、



世の中は歪んでいる。


この国の首相を筆頭に、大企業のトップや、NPO法人のトップ、都政のトップ、最大手事務所のトップ、、、。


あちこちで、不正、ハラスメント、犯罪、悪政が横行しているのたから。



これ、ひろゆき氏が、とても良い一言で纏めてくれていた


「人間の大多数は、馬鹿なんです」

と。


つまり、馬鹿がマジョリティーで、

その馬鹿が選挙で選んでいる政治家が、

日本を衰退させている。と。


しかも、馬鹿だから、

全員が、

「良かれと思って」

「プラスになると思って」

「正しいと思って」

「問題ないと思って」

やっている。


だから、どんなに説明しても、

どんなに説得しても、

聞く耳を持ってない。


聞く耳を持たすところから始めないといけない。


ということ。



うん。


とても腑に落ちる。





今日は、役者の話をしようと思っていたのだけどね。


しますよ。


つまりは、


世の中の馬鹿の割合と同様に、

日本国民も、

学生も、

あらゆる業界も、

そして、

演劇業界も、


相似縮小分だけ、馬鹿は居る。


ということだろう。


だって、大学出た、頭のいい人達が、これだけこぞってヤバいんたからさ。


それは、

役者に限らず、

演出家も、

脚本家も、

スタッフも、

そして、劇場も、


だ。


あらゆる世界での、相似縮小の話。




そして、どんな立場の人間も、それぞれの正義がある。



そして、僕にも、僕の正義がある。



当然、主宰、脚本家、演出家であるから、


より多くの人間が、より幸せになる可能性が高い最大公約数的正義を設定する義務がある


これは、義務だ。


そして、その設定を怠っている、世の中の主宰は、

本質が見えていない「馬鹿」の部類になるのだろう。


そして、

僕のその設定した正義にそぐわない人間、努力出来ない人間は、残念ながら、ご一緒出来ない、ということになる。


どんなに芝居がうまくても、

どんなに人柄が優れていてもだ。


と、今日はそんな話。




まず、

前述した、


設定した最大公約数的正義


は何なのか。

大きく分けて3つだ。



① 最高の脚本を書く


これは、最低条件である。


これが出来ないならば、劇団なんてやってはいけない。


当然お客さまの為、ではあるが、今日はその視点ではなく論じたい。


ちなみに、脚本・演出が違う団体の場合は

① 最高の脚本を用意する

で良い。



では、先に②に行こう。


② 作品を仕上げる


まぁ、脚本、演出を兼ねているからこうなるわけだが。

この①と②は、割りと属性が近い。


そして、最後はこれ。


③ 人道的に収益をプラスにする



この3つが、僕の揺るがない正義。





では、役者視点で見てみよう。



ところで、

YOASOBIの「アイドル」が、なぜあんなに売れたのか。


みたいなのを、テレビで話していたのを聞いた。


曲調が変化して、、、云々

メロディーラインが、、、云々


色々とセンモンテキな話をしていやがったけど、


最も大事な、最も重要なファクターに言及していなかった。


なんだ? こいつら?


と思ったけど。


いやだってそうでしょ。


あれが売れた一番の理由は、


「推しの子」の主題歌だったから


これ以外無い。


んで、更に言えば、

「推しの子」が、大ヒットする最強の作品だったから


つまり、因果関係的には、


「推しの子」がめっちゃ面白い

YOASOBIが儲かった

訳である。


何が言いたいか分かると思う。



役者は、良い作品に出ないと、評価されることはほぼ無い。


脚本がヤバすぎてくそ叩かれてる、例のドラマ

真夏のシンデレラ

も、


ファンですら、辛うじて


「森七菜や間宮祥太朗はまだ良いけど」

「森、間宮の無駄遣い」

「森七菜さんが可哀想」


って感じ。


ファンでもなんでもない人からすれば。


「あの酷いドラマに出てる女優、俳優ね」


となる。



テレビは、まだ、制作、局のせいに出来るからまだ良いけどね。


舞台は、テレビと違い、チケットも高いし、小劇場の場合は、役者が客を呼ぶ。


だから、

つまらん作品だったら、目に見えて客は減るし、知り合いは来なくなる。




つまり。



役者にとって、一番の重要なポイントは、


「良い作品に出る」


ということ。


人によっては、断れない仕事もあるだろう。


だから、あえて言い方を正確に、かつマイルドにするならば、



「良い作品を作る現場を見つけたら、離さない事」


「良い作品を作る現場と、良好な関係を築いておく事」


だろう。



ここで、まず、


①最高の脚本を書く

②作品を仕上げる(演出)


この二つか効いてくる。



少なくとも、僕は、最高の脚本を書いている。

そう自負しているし、


もう、そろそろ、自負だけではなく、役者、スタッフ、お客様と、周りからの評判からも、自覚出来ている。


ビッグマウスなのではなく、

流石に、お客様から、

「人生観変わりました」

「今までの人生で観たものの中で一番でした」

って、言われ続けて来れば、


「いえいえありがとうございます。、、、でも、俺の脚本、めっちゃ面白いんだー」


くらいにはなるものです。


もちろん、そこには演出への評価も加味されているはずだ。



つまり。

それは。



役者にとって、「出るべき舞台」の最も重要な要件を満たしている


わけだ。




ここが土台ね。



んで。



③ 収益をプラスにする


ここだ。



「役者は客を呼ぶべきだ!」

「役者は芝居をするのが仕事だ!」

論争


はよくある。


これらは両極端の意見である。



その役者を観に来る客がどれだけいるのか、は、紛れもなくその役者の価値


だし、


かといって、


ファンが多くても、作品をぶち壊す稚拙な演技では、話にならない


結果、その人のファン以外は、作品を「駄作」と決定づけてしまうからね。


僕も、劇団を作る際には、大いに悩んだものだ。



だからこそ、あえて言おう。

この論争への答え。


一言で言うなれば、、、だ。


「良い作品に当たったら、マジで全力で客を呼べ!」


これだろう。


① お客さんは、良い作品を観れば、ついてきてくれる。

つまらない作品を観せられたら、次は来ない。


② 「役者は演技が売り」「役者の仕事は芝居」と言っても、本当にその人しか出来ない演技、なんてモノは希少。トップアイドルだって、売れっ子芸人だって、必ず代わりは居る。

客を呼べない、客を呼ばない、そこに努力していない役者は「趣味」。


③ だからこそ、つまらない作品に当たったら、ファンを減らしてはならないので、そこは呼ばないのが正解。逆に、面白い作品に当たったら、呼べば呼ぶだけファンを増やせる、ファンを固められる。


④ フリーランスの役者や、テレビやその他媒体の仕事を撮ってこれない(テレビや映画等が、手当たり次第に各事務所にばらまく「エキストラ募集」ばかりの)事務所の場合は、どうあがいても、「集客」が「ギャラ」に直結する。

それ以外に、その人を使うメリットを提示出来れば別。




これだけ書けば、まぁ、十分だろう。




これが、真髄、だと思う。




だから、3つの正義をあげた。



①、②で、土台が出来ている(と、自負している)なかで、


特定の枚数、特定の売上に達していなくても良い。


「この人は、全力で戦ったかどうか」


ここ1点を、僕は判断すれば良い。

というわけだ。


簡単。



さらに簡単なのは、、、



演技が上手かろうと、

人当たりが良かろうと、


ここで全力出せなかった人は、



役者向いてない、とは言わない。

舞台辞めちまえ、とまでは思わない。


ただ、




その俳優活動は趣味


です。


これは間違いない。


だから、


趣味なんだから、
気持ち良くて、
緩くて、
客席ガラガラでも怒られなくて、
その代わりギャラも雀の涙で、
作品悪くてもなあなあな所、


でやった方が良いよ。



とは、思う。



良い作品の舞台で、全力で集客すると



・次も俳優として呼んで貰える

・他の全力で集客している俳優仲間への、恩返し(相互に初見認知)

・短期的、長期的にも、自分のギャランティアップ

・その作品が売れる可能性が上がる(作品ごと売れる可能性が上がる)

・単純に、舞台上で楽しい



これだけのメリットがあるわけで、

このメリットを、俳優ならば見逃してはいけないわけで、


だから、

本気でやらないなら、


他人のお客に、自分の芝居をみせつけるだけなら、


趣味


なわけです。




大変。

①、②の大前提。


コレが大変。



でも、


逆にね。


俳優ならね。



俳優なのに、ここを用意して貰っておいて、本気出せないんなら、駄目だぜ?!



ってところまで行くと、、、


とてもわかりやすい。

シンプル。





各々ね、


「本気出せなかった理由」

「本気出さなかった理由」

「たまたま売れなかった理由」


色んな事を言うものです。

人間だから。

正当化する理由は無限にあるでしょうさ。


最悪、

「岡本さんのあの時の一言で、萎えました」


とかね。




言えば言うほど、


自分が俳優から、

プロの役者から遠ざかって行く。


僕は、「それはスミマセン(汗)」と言いつつ、心で、

(あーあ。こいつ趣味だったか。)

ってなる。

そして、

(簡単に全論破出来るけど、面倒だし、ヘイト撒かれてもやだし、フェードアウトだな。)

ってなる。





まあ、でもね。


実はたった一つだけ有ります。

僕を完全に黙らせる、

たった一つの言葉が。


一度、真正面から聞いてみたいものです。




「この程度の脚本・演出で、俺が本気で客呼ぶ様になるなんて、笑えるぜ」


って。



言われたら、クソムカつくだろうけど、


逆に清々しいよねww





こっから、

きっつい事をちょっと書きます。

でも、多分。

真理です。

だから、目を反らさずに、世の俳優、俳優を目指したい人は、取り組んで欲しい。






役者、俳優をやりたい気持ち

と、

お客さんに営業かける行動は、

相反するものです。


それは分かる。


でもね、

その、君の


役者、俳優をやりたい気持ち


は、


誰も望んでない。

誰の為にもならない。

社会的価値もない。

自己満足。

承認欲求。

ただの憧れ、甘い夢。


であることは、認識しなくちゃいけない。


悪口でもディスでもない。


世の中の「俳優をやりたい」人間は99.9%そう。


でも、人は自分こそ、その0.1%だと信じたがる。


自分には才能がある。

自分はヒーローになれる。

自分はどこかきっと特別。


そんな事は無い。


一枚のガチャチケットで、狙ったSSRを一発で引けるものか。



だからこそ、


先に知るべき。


誰も望んでない。

誰の為にもならない。

社会的価値もない。

自己満足。

承認欲求。

ただの憧れ、甘い夢。


だと。



でも、それを見続けたい、

やり続けたい。

浸り続けたい。


ならば、


おのが価値を判断し、

おのが価値を確立し、

おのが価値をアピールする。


世の中の社会人は、当たり前のようにやっている事。






※語弊があるので、ここだけは注釈入れるけど


僕がそう思っている訳では無い

(本当に「こいつは俳優として無価値だ」と思っている訳では無い、という意味)


「俳優は、芝居するのが仕事」

「役者の仕事は、集客じゃねえ」

という意見の役者さんは、


冷静に、



「『どんなに芝居が上手くても、お客さんを呼べない自分など無価値』という事を一度認識したところからスタートしてみると良いと思う」


反論するのでは無くね。

論点をずらせば反論なんていくらでも出来るから。



「好きで役者やってるのに、役者としての自分は無価値だよなぁ」


と、自分でしっかり認識すれば、


「自分の役者としての価値をつける」


ことに踏み出せるから。


 




ここでは厳しい事を書いてるが、

基本的には博愛主義者。


どうか、怖がらずに、

熱意と信念をもって、


オーディションに多くの人が来て欲しいものである。





ヘルタの艦橋にて待ってます


最近の、ブッチギリ
「天に何物与えられてんの?」
キャラ