僕の場合は、


舞台脚本家であり、

演出家であり、

俳優であり、


今は自称小説家でもある。



まあ、基本はゼロイチのクリエイターをやっている。


でもまぁ、一番強いのは、やはり

舞台脚本家

だと思う。


多分、僕よりも良い舞台脚本を書く人間は、なかなかいない。


ここ10年で、

「うわぁ、こんな凄い脚本書けないわ」

と思ったのは、


団体BのKさん

劇団J(Z?)のTさん


くらいのものだ。


しかし、

僕の脚本を誰か別の演出でお願いしたら、僕よりも良い演出をする人はいるだろう、と思う。



ただ、これだけは言いたい。


クリエイター舐めんなよ?


ゼロイチで創り出している人間は、その作品の頂点にいなくてはならない。


もちろんお互いのリスペクトは大切。


しかし、それは道徳的な話、人道的な話であって、

コンテンツのクリエーションにおけるルール

とはまた別の話




なんていうか、


例えばね


高校の生徒が、

授業を妨害したり、

先生に悪さをしたりして、

その先生が、キレて殴りつけたとする。


生徒は学園運営におけるルールに違反した

先生は道徳的に違反した


ここは、話が違うわけ。


そもそも、生徒がルールに違反しなければ、先生が非道徳的行為をする必要は無かった。



例えばね


僕の現場でも、俳優を舐めてるやつはちょいちょいいる。

舐めてる、と、一概に言うと可哀想なので、言い換えよう。

「俳優は、言葉が喋れて、台詞さえ覚えれば、あとはやる気と気合いでなんとかなる」

と思っている

「結果として、俳優を舐めている事になってしまっている人」

が、ちょいちょいいる。


という事ね。


俳優は、脚本読解力、日本語読解力、が全てのスタートライン。


まぁ、残念ながら、世の中の数多ある全ての演劇において、

95%は読解するに値しない低レベル脚本

なので、俳優達が舐めてしまうのもわからんでもないけど。


話を戻そう。


僕が、脚本演出家として、俳優を怒る場面はまぁある。

俳優の仕事は、脚本の意図を読み取り、演出家のプランから外れない演技をすることだ。

だから、到底それに届かない、下手をすれば間に合わないような場合は、


俳優というものに対する姿勢

役作りのやり方、アプローチの間違い

台本の読み方の間違い


など、原因を究明しつつ、怒る。


そこで、

「そんな姿勢なら俳優に向いてない」

という事もたまには言う。

まぁ、最後の最後にね。


そこで、

「あの発言は、人格否定だ」

とか言う話が出てくると、

レベル低すぎてやってられないわけよ。


「こんな理路整然として温厚な僕に、人格否定まがいのお叱りを受けている段階で、それこそ向いてないんじゃないか?」


という無限ループに突入する。


だから、まぁ、面倒くさいから、二度とつかわなくなるだけなんだけどね。



何の話かというと、例の事件の話に行くんだけど、

その前に、そもそも論。



自民党幹部連中のクズっぷり

堂々と公金を横領するNPO

SNSで炎上するヤバいな奴ら

他人を誹謗中傷して訴えらる馬鹿

僕が切ってきた人間的にヤバい自称俳優達、自称プロデューサー、マネージャー、音響


ひろゆき氏の言う通り、

とかくこの世は、頭の悪い人間がマジョリティーである。


たからね、

例の事件も、


想像力のない、

「道義的な当然」を理解していない、

「ルール」をわかっていない、

権威の上に胡座をかいた、

他人の創作で飯を食わせて頂いているという根本が抜け落ちた、


そのマジョリティーが、


局や台本作成者やプロデューサーにいた。

しかも複数。下手したら全員。


そして、コメントを出す責任者も、おそらくは、そのマジョリティー。


多くの頭の悪いマジョリティーに対して、

作者が、


道義的に当然のルールを提示した

しかし、バカは、それが当然のルールだとわからない。



そういう話なんだと思う。




ただね。


ここからは、僕の個人的な感想。


僕は、


台本作成屋は、


敢えて、意図的に

原作クラッシュして、改訂したと思っている。


何故って?


原作のまんまに作って、それで最高傑作になっても、自分の評価にはならないから。


それよりも、原作をクラッシュして、


原作よりも良いじゃん!


っていう、評価を得たい。


そう、つまりは

承認欲求


これが、全て。


ここに、

「始めから台本をそのまま読まずに、アドリブを入れまくる俳優」と近い心理を感じる


「私が書いた方が面白い」と。

「私ならこうするのに」と。


他人の作品の、他人のキャラクター、他人のメッセージ、他人の設定を使っているくせに。


だからね、

「どの様にすれば、自分のオリジナリティが認められるか」


ということしか考えてないから、


当然そこに、

「原作改訂なんてもってのほか」


という当たり前の思考すらない。


そもそも、オリジナリティを求める場所が間違っているのにも気付かない。


下手をしたら、自分のことをクリエイターだと勘違いしている。






多くの、ヤバい人間をみてきて、


例に漏れず、

承認欲求が引き起こした事件なのかもな

と、僕は勝手に思っている。


だって、

もしも僕がドラマ脚本やってくれって言われたら、


死ぬほど原作読んだ後に、

作家先生にアポ取って、

譲れない想いや、作品のアプローチなど、絶対に取材するもん。


尺を縮めるとか、

やむなくシーンをカットするとか、

そういうのは、それからの話なわけ。




ともあれ。


才能あるクリエイターを一人殺したのだから、


仲介で関わった人間は全て、

自分たちの不手際と愚かさが人を殺したのだ、


と、思って生きていって欲しいと思う。