登頂したときのあの何とも言えない感動が、
私を山へと連れて行くんだよね~。
この植村さん。
彼は、世界一の冒険家ではないでしょうか。
1970年5月、
そして世界最初の五大陸最高峰登頂者となり、
北極圏の犬橇冒険行で勇名を馳せることになりました。
この犬橇冒険行と聞き、
彼の素晴らしいところは、
現地で自分で働いて、
“お金がなくて、やりたいことができないわ~”
だなんて、
言い訳できませんね
本気でやりたいのなら、
時間も作れるし、
働いて資金もためられるハズだもんね。。。
彼の生き方は、
当時、会社組織の中で働いていたサラリーマンに、大きな衝撃を与えました。
また、彼の影響で登山家になった方も沢山いらっしゃったり、
多くの登山家が彼に感銘を受けています。
7大陸最高峰に史上最年少で登頂した、
野口健さんも植村さんに感銘を受け、
登山をするキッカケとなりました。
野口さんは、2007年、植村直己冒険賞 を受章されています。
(余談ですが、実は、この植村直己冒険賞の歴代受賞者の中で、実際にお会いした方が一人いるんです。
これ、すごい運命的な出逢いでして…街でバッタリ的な出逢いだったんです(笑)
ありがたいことに、お話させていただき、貴重な経験になりました。
このお話は、また後日。)
この植村さんを超える冒険家は、
今後も出てこないのではないでしょうか。
植村さんは、
1984年2月
冬期マッキンリーの単独登頂に世界で初めて成功し、その後消息を断ちました。
どこかのクレバスに落ちてしまったのか、
植村さんの遺体は発見されませんでした。
あれから25年経ちました。
「死を予感したとき、植村さんは何を考えていたのだろうか」
ふと考えるときがあります。
「もっと冒険をしたかった」とか、
「後悔」とか…あるんだろうか?
「死ぬならマッキンリーに登らなければ良かった」とか、
「もう少し生きたい」とか…。
「後悔はないんじゃないかな…
きっと思うことがあるとしたら、家族のこと。
『家族への感謝』 だと思う。」
もし、自分だったら、そんな時何を思うだろうか?
アルピニストの松濤明さんは、
厳冬期の北鎌尾根にて、
硬直していく体と、薄れていく意識の中で、遺書を書きました。
松濤さんは、その7か月後に遺体で発見されました。(遺稿集「風説のビバーク」)
遺書には何て書いてあったと思いますか?
やはり、親への感謝だったのです。
人は、
死を待つ極限状態になると、
「感謝」や「愛」でいっぱいになるのですね。
植村さんも、きっとそうだったのかもしれません。