マジで日韓スワップの再締結なんて絶対反対なんですけど・・。 | momongaの雄たけび・・・なんてね(*^-^*)

momongaの雄たけび・・・なんてね(*^-^*)

気持ちは永遠の淑女・・。妻であり母でもあるmomongaが子育てに政治に思うところをぶつけてみるブログです。調べるほどに嫌いになる韓国に怒り爆発!!!ピグはちょっと無理よ・・。

正直、個人的には関りをもちたくないような

人ではあるんですけどね~。

 

江川達也さん・・・。

 

正直、昔大学生になったころに兄が

「東京大学物語」持ってたので見ちゃった

ことはあるけど・・。

 

正直言って遥ちゃんみたいな女の子は

実際にはいてないし

(つまり江川達也さんの妄想)

このころ江川達也さんにあった批判で

エロが描きたいんなら成人誌に描いたら?

っていうのがあって

その通りだな~~~って思っていたんですけどね。

 

まあこの件ではよく言ってくださったと・・・。↓

http://news.livedoor.com/article/detail/12297046/

17日、漫画家の江川達也氏が自身のFacebookアカウントで、

韓国を厳しく批判する内容の持論を展開した。

(中略)

・・・青山氏は、

政府が日韓通貨スワップを

推進する理由

として、担当省庁が

「韓国に恩を売った方がいい」

という考えを持っていると指摘したうえで、

「韓国は恩を売っても

アダで返す

って言ったじゃないですか!」

「そんなことはみんな知っている」

と、韓国に対する姿勢を真っ向否定した。

江川氏はこうした青山氏の発言を取り上げた

まとめサイトの記事を引用し

「恩をアダで返してきた人を

助けてはいけない」

「助ければ助けるほど

攻撃してくる」

「むしろ、攻撃すると

攻撃が減る」

「小学生のころから教えるべきこと」と綴った。

そして、

「韓国と日本の近代史を日本史の試験に

入れなきゃダメ」

「いかに、

韓国が日本に依存しながら

攻撃してきているか。

歴史教育で嘘を教えて

日本を攻撃してきているか」

と、韓国の日本に対する姿勢を指摘。
 

(引用ここまで)

 

正直、

スワップなんかして

韓国人を助ける

なんて

本当に無駄。

 

今までいろんな面で日本は韓国を

助けてあげてました。

恩は十分すぎる以上に

売ったのは本当。

韓国では

なかったことにされてる

けどさ↓

 

http://ameblo.jp/sunakake-beaver/entry-11750497044.html

韓国へのODA実績累計 (98年まで)
    
  贈与                  政府貸与         
無償資金協力  技術協力       支出総額       

累計 233.84    913.72         3,601.54        

単位は、100万ドル(一億円)

※1965年の日韓基本条約にて日本から韓国へ支払った
 5億ドルは除く

 

(引用ここまで)

 

追加↓

 

 

でもいくら恩を売っても韓国人が

やってきたことと言えば

日本隠し

嘘捏造に伴うディスカウントジャパンだけ。↓

 

http://ameblo.jp/sunakake-beaver/entry-12080569664.html

作家の豊田有恒さんの

文章だそうです・・・。
ちょっと長いけど・・・。
韓国人のバカさ加減、未開っぷりが
凄くわかりやすかったので感動・・。
全文転載しちゃいます。↓

 

戦後の対韓協力と
韓国の仕打ち
恩に仇する
〝何が何でも日本隠し〟


一事が万事「日本人=悪」

 先年なくなった萩焼の名匠、十二世坂高麗左衛門さんから、
うかがった話である。坂家は、萩藩毛利家の官窯である萩焼の宗家で、
かつて豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、日本へ渡った陶工の子孫である。
この出兵は、しばしば陶磁器戦争とも呼ばれる。

 薩摩の沈寿官、伊万里の李参平など、攫(さら)われてきた陶工が
少なくない。坂氏も、こうした陶工の子孫にあたり、代々にわたって、
高麗左衛門を襲名している。高麗という名乗りからも判るように、
朝鮮半島の出自を隠そうとしなかったが、
そのことにより、名声や地位が損なわれることはなかった。
日本が、外来文化に寛容な
社会だからである。

 ある時、KBS(韓国国営放送)が、取材に坂家を訪れた。
記者は、のっけから、こう切り出した。

 「日本では、ずいぶん、
ご苦労なさったのでしょうね?」

 坂氏は、こう答えられたという。

 「冗談ではない。
わたしは、日本人ですよ」

 KBSの記者は、朝鮮の役で連行
された陶工たちが、日本人に虐待された
と、思い込んでいるのである。

手仕事を賤しむ朝鮮と異なり、日本では手に職を持つ人は
尊ばれる。坂家は、代々、藩侯から士分(しぶん)として
苗字帯刀を許され、テクノクラートとして優遇されてきた
のである。記者が、十二代を経た坂家の当主を、いまだに
韓国人であるかのように錯覚し、誤解、偏見、思い込みに
捕らわれているため、インタビューは、いっこうに噛みあわ
なかったという。

 秀吉の役は、たしかに日韓間の悲劇のひとつだが、文化と
いうものは、一方的に伝播するわけではない。このころ、
日本から、唐辛子が、朝鮮半島に伝えられる。唐辛子は、
朝鮮では、初め倭(ウェ)芥子(キョジャ)と呼ばれた。
文字通り、日本の芥子である。

韓国人は、しばしば、日本文化は、
すべて韓国起源だと妄言を弄する。

妄想が昂じて、剣道も韓国起源だと言い出す始末である。
その伝でいえば、世界遺産のキムチは、日本人が教えたと
言えるかもしれない。こっちは、妄言ではなく、それなりに
根拠のある話だからである。

 韓国人の日本観は、一事が万事、こうした
日本人=悪
という史観から、捏造されたものである。かつて、1970年代の
初頭から、繰り返し訪韓したが、当時、日帝時代、植民地
(シデー)などと呼ぶ人は、ひとりもいなかった。まれに植民地時代
と呼ぶ人が、いないわけではなかったが、ふつうの韓国人は、
日本統治)時代と呼んで、むしろ懐かしんでくれた。

 グレゴリー・ヘンダーソンをはじめ、多くの欧米の歴史家が、
朝鮮の近代化は、日本統治によって、もたらされた事実を、
例証している。日本は、朝鮮を併合したのであって、決して
植民地として搾取したわけではない。日本教育を受けた世代は、
こうした史実を知っていたから、一方的な日本非難には与しなかった。

無知・無経験の李承晩が戦後始動

 日本統治が終焉した1945年8月15日は、韓国では光復節
として祝日になっているが、そのとき待ち受けていたのは、
途方もない無秩序(anomie)状態でしかなかった。

 アメリカに亡命していた李承晩が、アメリカ人の夫人を伴い
帰国し、初代大統領となったものの、日本統治時代を体験して
いないから、朝鮮の実情に無知であり、また実務の経験もなく、
ひたすら日本を敵視し、反日教育を行ない、日本漁船を拿捕する
などしただけで、国内的にも失政を重ねるばかりだった。
朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済の三国に分かれていた時代から、
抗争が絶えなかった。地政学上から見れば、南北は、気質も
風土も異なっている。南には大韓民国が、北には朝鮮民主主義
人民共和国(誇大広告のようだ!)が成立したものの、双方ともに
ちぐはぐな国家だった。

 総延長500㌔を越える洛東江、漢江の流域は、韓国の穀倉地帯
である。半面、農業地帯韓国には、僅かな石炭を除いて天然資源は
ほとんどなく、また工業施設にも乏しく、日本が整備した半島全体
の発電設備のうち、僅か五%しか存在しなかった。逆に、北朝鮮には、
日本が残した水豊ダムをはじめとするインフラが多く、天然資源にも
恵まれている。
 
↑日本が建設した水豊ダム
しかし、平地に乏しい北朝鮮には、農業生産力が、
欠けていた。つまり、南北が補完しあっていかないと、存立が難しい
国土なのである。
かつての高句麗の領土のうち、鴨緑江以南が、現在の北朝鮮領となり、
旧新羅・百済の故地が、現在の韓国領となっている。
 さる人が数えたところ、古代の「三国史記」から、近世まで、
朝鮮半島は、実に960回も、異民族の侵入を受けているという。
ほぼ二年に一回の割である。こうした過酷な歴史から形造られた
国民性は、歪んだものにならざるをえない。
 
 韓国人は、絶対に非を認めない。
自説がまちがっていても、証拠を
つきつけられないかぎり、撤回しない。

(つきつけられても撤回しませんby私)
また、どれほど世話や恩を受けても、
感謝しないどころか、世話になった事実
すら、隠蔽、否定しようとする。さらに、
できるだけ、自分を大きく見せようとする。
 
 なぜ、こうなるかというと、相手が異民族の場合、非を認めれば
殺されるかもしれない。また、下手に世話や恩義を認めれば、
さらなる過酷な要求を突きつけられるかもしれない。また、自分を
大きく見せないと、利用価値のないものと見なされ、殺されない
までも、社会的に葬られるかもしれないのだ。
 
 こうした傾向は、特に対日本という関係
では、被害妄想のように顕著に現れる。
これら韓国人の歴史、民族性を踏まえた
うえで、特に戦後の日韓関係を眺めると、
日本人の対韓認識が、どれほど誤っていたか、
はっきりする。

発展には日本教育世代が活躍
 昭和40(1965)年、日韓基本条約が、締結される。
今年は、その五十周年に当たるが、日本は、僅か18億㌦
しかなかった外貨準備のなかから、有償無償あわせて五億㌦を、
韓国に提供した。この資金が、韓国の高度成長の基礎を
築いたのである。逆説めくが、韓国の発展は、すべて日本のおかげ
だということを、日本人も、常日頃から、言いたてないと、
日韓関係は好転しない。
 当時の朴正熙大統領は、国民の反日傾向のなかで、日本との
修好を進めたわけだが、これは、韓国動乱(朝鮮戦争)の戦火
さめやらぬ時代だったため、北朝鮮との間で、復興の遅れから、
溝を開けられていることを、計算に入れたからである。
この日本からの資金が、京釜高速道路をはじめ、韓国の高度成長
の基礎となるインフラにまわされた。つまり、日本のおかげなのである。
日本人は、こういう事実を、絶えず韓国に対して言いつづけないと、
日韓関係の好転は望めない。
 以後、日本人は、熱心に韓国へ関わって行く。
そこに、“元日本人”への共感と、一種の贖罪感が作用したから、
あらゆる面で、心から韓国の復興、繁栄を願って、惜しまず協力
したのである。先進国の仲間入りした韓国の現代の繁栄は、
日本人の協力によってもたらされたものと、はっきり断言できる。
しかも、日本人が、恩着せがましくしない
点に、今日の問題の全ての淵源がある。

 現在、日韓のあいだには、多くの問題
があるが、その多くは、日本人が、こうした
事実を、いちいち韓国人に確認しなかった
ことから発生したのである。日本人は、
恩着せがましくされることを嫌うし、相手にも
恩着せがましくすることはない。
だが、韓国人相手には、言外の言、
理外の理は、通じない。


 寅さんの決め台詞だが、日本人は
「それを言っちゃあ、おしめえよ」と、
言うべきことも言わずに、相手が察する
のを待つのが、ふつうである。確かに、
日本人同士では美徳だが、韓国人相手
では、これは逆効果しか生まない。
 韓国の建国に当たっては、日本で教育を受けた人々が、
大きな役割を担った。朝鮮戦争における活躍によって、
韓国では救国の英雄とされる白善燁将軍は、日本での
軍事教育を受けている。韓国で栽培される野菜、果物など、
ほとんどの品種は、多くの日本人の善意に支えられ、
東大に学んだ種苗学者の禹長春博士が、日本から
もたらしたものである。実際、禹博士は、常日頃日本人への
感謝を口にしていたそうである。

 
↑禹長春博士
 しかし、こうした日本世代の日本に感謝する気持ちは、
現代の韓国では受け継がれていない。林檎のフジという品種は、
日本から導入されたものだが、富士と言う漢字を韓国音で
読み換えて、プサという名で知られている。一般の韓国人は、
プサという林檎が、日本からもたらされたものだという事実を知らない。

 条約の締結の以前から、日韓の協力の動きは、すでに始まって
いた。先年、94歳の天寿を全うされた全仲潤氏は、韓国屈指の
インスタントラーメン会社である三養食品の創立者として、よく知られる。
全氏は、朝鮮戦争の惨禍から回復できず、食糧難に苦しんだ1960年
代の初め、日本で口にしたインスタントラーメンの味を忘れられず、
日本の明星食品の奥井清澄社長を頼った。奥井社長は、国民を
食糧難から救いたいという、全氏の志を受け入れて、ラーメンの製法を、
無償で提供し、技術指導に当たった。

当時、多くの日本人が、元日(・・)本人(・・)である朝鮮半島の人々に、
同胞意識を抱いていたからである。朝鮮半島の人々も、“元日本人”
として、本土の日本人に親近感を持っていたからでもある。
実際、全会長は、生涯、奥井氏を含めた日本人への感謝を、
口にしていたそうである。


↓全会長と韓国初のインスタントラーメン
 
 
 日韓条約によって、日本を知る人々、日本から戻った人々が、
日韓の窓口、橋渡しの役割を務め、日本からの技術協力・移転が、
さらに加速されていった。

早くからあった〝日本隠し〟
      
 しかし、日本の協力、努力、誠意が、
いっこうに韓国人の感謝の対象とならない、
いわゆる〝日本隠し〟の事実は、早くから
顕在化した。
 
 1974(昭和49)年、ソウルの地下鉄の一号線が、日本の
協力によって竣工した。ソウル駅から、東のターミナル清涼里駅
へのルートである。東京で言えば、東京駅と新宿駅を結ぶような
幹線に当たる。建設費用のほとんどが、日本からの借款で
賄われたばかりか、日立製の最新型の車両60両が、提供された。
 
 しかし、その竣工式では、日本の協力が
あった事実は、すべて伏せられていた。
立ち会った日本人関係者は、臍(ほぞ)を
噛む思いだったという。
 こうした韓国人の〝日本隠し〟の性癖は、まだ、日本人のあいだ
では、広く知られることもなく、日韓の技術提携、技術協力は、
加速されていった。日韓の経済協力に関わった松本氏が作成
された上記表を見ていただければ、すぐ判る経緯なのだが、
昭和60年の時点で、今日の韓国が得意とする技術分野における
日本からの技術移転は、広範な規模でほぼ完了しているのである。
これらの技術に関して、私が眼で見たケースだけ眺めても、
韓国経済がテークオフするに当たって、日本からの協力が
不可欠だったどころか、商売の域を越えた日本人の献身的な努力
に支えられたことが判る。
 
自動車は日本が全面協力
 
 私事ながら、車とバイクが趣味なので、自然な成り行きで、
この趣味は、韓国へも向かって行った。70年代、ソウルの
太平路の世宗会館の向かいに、現代自動車のショールームがあり、
なんどか通った。現代ポニーは、最初の量産車だった。
貧しかった韓国では、外貨節約のため。せめてタクシー需要だけでも、
国産でまかないたいという当時の朴大統領の命令で、いわば
国策として進められたプロジェクトであり、日本の三菱自動車が、
エンジンの提供などをふくめて、おおいに協力した。

 昭和53年「韓国の挑戦」を上梓した際、韓国の自動車産業の発展の
ポテンシャルに言及したが、当時、韓国が自動車生産国になると
予見した日本人は、口はばったいようだが、私以外にはいなかった。
 
 当時、拙著を読まれた業界の関係者と思われる方から、
丁重な手紙を頂戴した。その方は、専門家らしく、多くの論拠をあげて、
韓国の自動車産業が発展する可能性は皆無だと断定しておられた。
 
 現代ポニーは、三菱からランサーのシャシー、サターン・エンジン
などを提供されたが、デザインは、イタリアのスーパーカーで
有名なジョルジエット・ジウジアーロに委託した。私も、ハンドルを
握らせてもらったことがある。タクシー需要を見こんだため、
サスペンションは固く、乗り心地が良くなく、造りも雑だったが、
流麗なファストバックのボディは、いかにも魅力的で、商品性が
あると思えた。
このポニーの成功が、韓国の自動車生産の基礎となる。
 
↑ポニー
エンジン、シャシーの技術は、日本に仰いだが、デザインには
金を惜しまず、それが成功につながった。日本車と酷似した
デザインを臆面もなく採用する今日と比べると、当時の韓国には、
それなりのプライドがあった。
 自動車業界の日韓提携の動きは、この現代だけに留まらない。
起亜((キア)自動車は、日本時代からの部品メーカーで、老舗の
少ない韓国では例外的な存在だが、マツダと提携して早くから
オート三輪の生産を行なっていて、マツダ・ファミリアをプリサの
商品名で生産するようになり、自動車業界の一翼を担うことになった。
ただ、乗用車としては、現代ポニーに及ばなかったため、
ワンボックスワゴンに特化して、マツダ・ボンゴのライセンス生産
に力を入れた。
 
 私も、日本のテレビ局のコメンテーターとして、なんども韓国
での取材に参加したが、ロケバスは、ボンゴばかりだった。
ちなみに、韓国では、今も、ワンボックスワゴンのことを、ボンゴと
呼ぶほど、普通名詞化しているのである。
現代、起亜という老舗ばかりでなく、韓国の自動車産業には、
多くの日本メーカーが関わっている。日産も早くから、現地メーカー
新進(シンジン)と提携していたが、これにトヨタが加わったため
提携を解消している。代わったトヨタも、コロナなど現地生産した
ものの、やがて手を引いた。
 部品の国産化比率を引き上げられ、達成不可能だとしたせい
だとするが、巷説では当時のKCIAの実力者李(イ)厚洛(フラク)氏が
関わっていたため、あまりにも露骨に賄賂を要求され、嫌気が
さしたとも言われている。
 
 やがて新進自動車は、大宇(テーウ)グループの傘下に入り、
再編されることになる。グローバル戦略からGM系列に加わった
ため、日本からスズキも提携することになり、スズキ・アルトを
生産している。
 
 アメリカ大使館の裏手の大林(テーリム)産業(サノプ)の
ショールームにも、なんどか足を運んだ。ここでは、日本の
ホンダと提携してバイクを生産していた。70~80年代には、
韓国のモータリゼーションも未だしの感があり、バイクは
趣味的なものではなく、大きな荷台を取り付けて輸送用にも
使われていたが、日本のバイクは、こうした過酷な使用法にも、
じゅうぶん応えられたのである。
 
 見栄っ張りな韓国人の国民性からか、カラフルなカウルを
つけた荷物用バイクが街中を走り回っていた。これには
違和感をおぼえた。フロントカウルは、空気抵抗を減らすため
だろうから、街中を低速で走る荷物用バイクには、必要あるまい。

感謝はなく、技術まで盗む
 
 今から30年ほど前、新日鉄に勤める知人T氏に頼まれ、
同社の独身寮で講演した。韓国人の国民性、文化、歴史など、
入門的に話し、好評だったが、帰り際に、T氏は、思いがけない
ことを口にした。なんと、こう言ったのである。
 
 「講演、たいへん面白かったのですが、
うちの会社には、韓国が好きだという
人間は、ひとりもいませんからな」
 
 そのときは唖然としたものである。
訊いてみると、浦項(セハン)製鉄所
(現POSCO)に、同社はじめ日本の各社
が技術援助し、当時最新鋭の君津製鉄所
とほぼ同じレイアウトの工場を完成させ、
操業に漕ぎつけたものの、
相手からは
なんの感謝もなく、その後は、新日鉄の
シェアを奪うばかりで、多くの新日鉄社員が、
肚に据えかねる思いなのだという。
日本人なら、双方ともに感謝を口にし、和を保つところだが、
韓国人は、得意の〝日本隠し〟に走り、まったく日本の援助が
なかったかのように振る舞ってしまう。

↓日本の全面支援で浦項製鉄所の建設がはじまる
 
 
 一時期、家族ぐるみでつきあった国際人のT氏は、
海外勤務も長く、スイス人の奥さんを持ち、偏狭なナショナリスト
ではない。この方が、そこまで言われるのだから、技術移転に
当たり、相当なトラブルがあったのだろうなと、鉄鋼業界には
素人ながら、妙に納得した記憶がある。
 
 その後、推理作家協会の訪韓団で、
POSCOを訪れる機会ができた。迎賓館の
ような豪華なゲストハウスに泊めてもらい、
工場も見学したのだが、すべて自社開発
したかのような説明に終始し、日本側の
協力に関しては、一言も言及されなかった。

その際、あのときT氏が口にした言葉が、
真実だと、実感した。
 
 こうした際、日本人なら提携相手先の協力に感謝するだろう。
そのほうが、単に相手を立てるばかりでなく、より自分を立派に
見せることにつながるのだが、韓国人は、そういう大人の態度が
取れないのである。
 
 その後、新日鉄と、POSCOのあいだで、係争が発生する。
新日鉄を辞めた技術者が、方向性電磁鋼板という最新技術を、
POSCO側に売ったというのだが、この件では、アメリカも絡んで、
複雑な展開に至っている。現・新日鉄住金は、POSCOの大株主
でもあるわけで、告訴に至ったのは、よほど肚に据えかねる
事情があったからなのだろう。
 
 総じて、韓国の企業は、自意識過剰と言うか、自社製品を
誇大に言いたてるきらいがあるが、日本の技術がからんでいる
となると、なんとかして隠そうとする。他の多くの分野でも知られる
〝日本隠し〟という性向のためだが、事実を枉(ま)げても、
あたかも全てを、自社開発したように、捏造するから問題なのである。

排斥してもケロリ顔で輸入再開
 私と関わりのある例を、もう一つ挙げてみよう。韓国のアニメである。
かつて日本国内の人件費高騰から、日本アニメ界は、韓国に進出した。
 
 私の知り合いでも、技術指導に行ったアニメーターは少なくない。
例えば「コンバトラーV」というアニメは、韓国で製作されたものである。
韓国は、日本の善意と協力によって、アニメ技術をマスターした。
しかし、そのうち、例の悪い癖も出てくる。私がSF設定を担当した
「宇宙戦艦ヤマト」そっくりのシリーズが登場した。
「銀河(ウナ)艦隊(ハムデ)地球号(チグーホ)」という。これには、あきれた。
70~80年代から続く傾向なのだが、韓国は、対日貿易赤字を
抱えている。ライセンス料、精密加工機器、中間原材料など多くを
日本に負っているからで、それだけ、日本が韓国の発展に協力した
証でもある。
 ところが、奇妙で歪んだ歴史観からか、韓国では、対日赤字が
許せないものに思えてきた。当時、貿易(モヨク)帝国(チェグク)主義
(チュウィ)という穢(きたな)い言葉が、日本に向けて、投げつけ
られたものである。つまり、日本が、技術、原材料などを餌に、
韓国を隷属させようとしているというのである。
 
 しかし、韓国経済が日本に依存したのは、かれらが選択した
事実であり、ことさら無視しようとするから、そこに無理が生じる。
 
 三菱自動車のサターン・エンジンのように、ただ同然の
ライセンス料で、提供された技術に関しては、旧式な技術を
韓国に輸出し、有利な立場に立とうとしているという言いがかり
のような非難もあった。もし、ライセンス料が高額だったら、
それはそれで、日本に搾取されているというような非難が、
一斉に沸き起こったことだろう。
 
 こうした際、主義主張が先立ち、冷静に事実が見えなくなる
のは、韓国人の悪い癖である。日本から恩恵を受けたくないと
いう願望からか、盧(ノ)泰愚(テウ)政権のころだったと思うが、
輸入先多角化法案が成立した。つまり、日本から輸入されて
いる部品、中間原材料などを、なるべく別な国からのものに
シフトするというもので、助成金も設けられた。
法令に基づいて、これまで日本から輸入していた部品などを、
まったく取引のなかった欧米メーカーから輸入してみたものの、
規格が合わないケースが続出したばかりか、法外な技術料を
請求される事態も起こった。韓国のほとんどの産業は、親韓的で
お人よしの日本という国からの、善意あふれる協力で、これまで
発展してきた。いきなり欧米からの部品に切り替えようとしても、
すぐさま応用がきくわけではない。
 規格が合わない部品によって、工場の操業が停止に
追い込まれた例もある。また、これまで通り、日本製の部品を
輸出したため、日本のメーカーの社員が、ソウルへ到着するなり
逮捕される事件も起こった。日韓双方に、混乱を招いただけで、
韓国経済にとって、なんの利益も生まない空しい結果に終わる。
 
 輸入先多角化法案は、まもなく骨抜きになり、日本からの
輸入に頼ることに戻ってしまった。
こうした際、あれほど、日本を排斥した
のが、まるで嘘だったかのように、
けろりとした顔で、取引の再開を求めて
きたので、あきれたという日本側担当者
の感想を、耳にした。
 
つけ込んで生き延びる歴史
 
 繰り返すが、このケースのように、韓国人は、主義主張が
先走り、現実が見えなくなることが少なくない。意見が対立した際、
日本や欧米のように、それぞれ論拠を挙げて、最善の方法を
選択することが、きわめて苦手である。
自分と異なる意見にでくわすと、自分の
主張を押し付け、なんとしても相手を
黙らせようとする。議論が成り立たない
社会なのである。大声を上げ、相手を
罵(ののし)り、力ずくで意見を圧殺するのが、
ポピュラーな展開である。それが通じない
ときは、話題をすり替える。
 
 たとえば、竹島の不法占拠でも、竹島領有の根拠を、
日本側が示そうとすると、まず怒って怒鳴りちらす。
しかも、日本が、もともと朝鮮王朝のものだった竹島を、
日韓併合の布石として、軍事力を背景に奪い取ったのだと、
頑強に主張する。
 
 確かに、竹島を国際法上の無主地(むしゅち)として、
日本が領有宣言をしたのは、明治三十八年、日韓併合に
先立つこと五年である。しかし、竹島領有と日韓併合は、
なんの関係もない。あの帝国主義の時代である。
併合の布石として本気で奪うつもりなら、竹島では、岩山
ばかりで利用価値がないから、鬱陵島(ウルルンド)か
済州島(チェジュド)のほうが、軍事的に利用価値がある。
 
 韓国側は、もともと韓国領だった獨島(トクト)(竹島)を、
日本が奪ったという虚構から、出発するのだから、まったく
議論にならない。それが通じないと見てとると、今度は、
日本が竹島領有を主張するのは、日本で軍国主義が復活
したからだと、言い返してくる。軍国主義の話をしている
わけではなく、竹島領有の根拠について、議論している
つもりだが、これが韓国人相手では通じないのだ。
 
 過酷な歴史の後遺症で、韓国人は、自国に不都合なことは、
忘れようと努力する。特に、異民族から、なんらかの恩恵を
受けた際には、かならず過大な対価を課せられたから、なんと
しても認めないのである。認めないうちに、自分に納得させる
ためか、恩恵を受けても受けなかったことにしてしまう。
事実と異なっても、そう考えるほうが、精神衛生上も、好ましい
効果を上げる。特に日本の朝鮮統治は、実際には近代化の
引き金ともなったが、それを認めると、プライドが傷つくと見えて、
断固として認めない方針を貫こうとし、算盤勘定ができなくなる。
 
 日本人としては、これまで、全て逆の
対応をしてきたのである。韓国人の気持ち
を忖度(そんたく)して、配慮を示すことが、
日韓友好に寄与すると、錯覚したのである。
だが、ここが、ボタンの掛け違いの
はじまりである。
 
 こちらの好意は、疚(やま)しさ、弱さとしか、受け取られない。
強大な異民族の征服者と伍していくためには、相手の好意、
譲歩などに、つけ込むしかなかった歴史である。好意、善意を
示せば示すほど、言葉は悪いが付け上がる民族性なのである。
 
 島根県が、竹島の日を制定したとき、民主党政権は、
韓国を刺激することを恐れ、政府高官の派遣を手控えた。
ところが、韓国からは、マスコミをはじめ、大勢が松江に
押し掛け、路上で暴れまわるなど、乱暴狼藉を働く始末だった。
つまり、こちらが、疚しいことがあるから、譲歩したと見てとり、
かさにかかった態度に出たわけだ。

「はず」「べき」民族
 韓国人は、はずべき民族である。ヘイトスピーチを始めた
のではない。韓国は、“はず”と“べき”の社会ということだ。
われわれは、優れている“はず”だ。日本などに、してやられる
“はず”がない。竹島は、われわれのものである“べき”だ。
われわれの婦女子は、日本軍など相手に、売春などす“べき”
でないし、した“はず”がない。われわれの会社は、日本から
技術援助されたりす“べき”でないし、された“はず”がない。
そう言っているうちに、事実と“はず”、“べき”が、しだいに混同してくる。
 
 その結果、竹島は、韓国のものになり、日本の技術提供は
なかったことに、されてしまうのだ。
 
 ここは、日本人も、声を大に叫ばないといけない。
庶民は文盲が多く、王朝は人民そっちのけで権力闘争に明け暮れ、
中国への事大主義にしがみついた。その朝鮮に、鉄道、工場、
学校、炭鉱、発電所など、多くの社会基盤を整備したのは、
まぎれもなく日本である事実を再認識してもらおう。
当時、日本と韓国は併合していたのである。自国民を強制的に、
軍隊相手の売春婦に仕立てたり、勝手に、殺したりすることは、
許されなかった事実も、はっきり伝えよう。
戦前のことだけではない。今日、韓国が先進国並みになれたのは、
自国の努力があるにしても、総じて誰のおかげかを、データを
挙げて、懇切丁寧に説明しようではないか。歴史認識が、必要なのは、
どっちの国かも、改めて示してやらないと、理解できないらしい。
インスタントラーメンから、鉄鋼にいたるまで、すべて日本人が
技術を提供したのだ。こうした事実を改めて示そう。
 ここまでやらないと、眼を覚ましてくれそうにない民族であることも、
厳然たる事実なのである。もし、将来、日韓友好がもたらされると
すれば、日本側が有無を言わせず強硬に振舞った後のことだろう。
 

(引用ここまで)

 

 

 

これからもずっとそうするでしょう。

まあ

韓国人の本質が

嘘つきの

日本ストーカー

だから

それはもう変えられないのよね。

 

スワップなんてとんでもないわ!!

結局は国交断絶しか

日本と韓国の関係はありえないのにね。