この小説は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。




 

 

「わらわが尋ねておる!」

 

金切り声である。

子どもは我慢がきかぬものらしい。

可知がもう朔夜しか見ておらぬのが

またよくなかった。

 

「うっせぇな。

 今は月様がお話しになってるんだ。

 がきは黙れよ。」 

 

八歳児なりにドスのきいた声は出るもので、

童女は一瞬固まった。

そして、

ぱかっと口が開いた。

 

あああああああんっ……んんっ

 

 

遠慮もあらばこそ、

己を無視した一同に思い知らせてやると言わんばかりの泣き声がぴたりと止んだ。

老人が童女の前に座り込んでいる。

 

いつ動いたのか、

神渡は己の隙をつかれた思いだった。

朔夜はすでに闘気を収めている。

いや

不思議なものを見る、といった表情は、

赤子に戻った折りのあどけなささえ感じられた。

 

 

「よいのじゃ

 よいのじゃ

 わしらは姫さんを忘れてなどおらぬよ。

 

 ほれ

 タケルもちゃんとおるだろう?」

 

「あの者、

 おぬしを〝きたない〟と言うたぞ。」

 

「よいのじゃ」

 

「タケルをのことも言うた」

 

「よいのじゃ」

 

「……わらわなどおらぬように……。」

 

くっと小さな唇が引き締められる。

要はかまってもらえなかった悲しみなわけだが、

相手が可知では分が悪い。

 

「おまけじゃんか。

 お前なんかおまけだ。」

 

「これっ」

身を乗り出して

とどめを刺そうとする我が子の悪童ぶりに

母の拳固が振り、

いてえっと頭を押さえて丸まる可知を残して

母が縁先に進んだ。

 

 

問う眼差しにたづの頷きを得て

母が庭先をすたすたと横切る。

神渡の脇で一礼し、

朔夜に向かって一礼し、

老人の脇に座り込んだ。

 

 

「なおしましょう。」

童女の目を

白麻の衣に身を包んだ母が見上げる。

祭儀の装いは童女には見慣れたものであったか

こくんと小さな頭が頷いた。

 

 

手早く帯が解かれ、

ゆがみたわんだでだらしなく緩んでいた絹が

しゅるしゅると直ぐに肩から流れた。

 

 

脇から見下ろすタケルは些か居心地悪げに、

それでも一心にその手つきを見詰めている。

どうやらこの着付けというもの、

この猪には切迫した課題らしい。

 

きゅっと形良く帯は結ばれ

童女の前に品良く垂れる。

身頃をささっと左右対称にたるみをもたせ、

帯周りをもう一度整えると、

母はにこりと笑った。

 

 

〝耳〟というお勤めを担う家に嫁ぎ、

我が子をその怒濤に失いかけながら、

なお母の心を失うことなく家を守ってきた女は、

まさしく母そのものであった。

 

この庭には、

泣く子を黙らせる腕をもった者は己を除いていない。

それを本能的に知っている母は、

己の姿を見下ろして安心したらしき童女に告げた。

 

「さあ

 これでよし。

 ちゃんとしましたよ。

 立派なお姫様です。」

 

「おうおう

ほんにのう。」

 

母の隣から老人も声を添えた。 

 

こびりついた泥は

この際目をつぶるのが正しかろう。

タケルが張り付かれている利かん気の童女は

やはりそれ相応の身分ある姫らしかった。

 

 

最後に

そっと

その帯の結び目に触れて

母はそのまま

後ろへとつつっと下がり、

一礼して縁で恨めしそうに待つ可知のもとに戻った。

 

たづは我が意を得たりと微笑み、

神渡は朔夜に歩み寄った。

戸惑った赤子のように神渡に身を任せる細い体を

タケルがいぶかしげに見詰め、

そんな自分にはっとしたように目を逸らした。

誰も気にはしていないのに、

ご苦労様なことである。

 

 

老人は膝を払って立ち上がり、

己の姿に悦に入る童女と、

朔夜の変容をちらちらと窺うタケルを背に、

にっこりと朔夜に面を向けた。

 

 

「巫殿」

その呼びかけに

朔夜は気づかぬようだった。

神渡がそっとその肩を抱いて老人を見返す。

坂を駆け上ってくる馬の蹄の音が聞こえていた。

 

「我が巫が

 先ほどは失礼した。

 鷲羽の館にて拾われたとは、

 いかなる次第であろう。

 お聞かせください。」

 

老人は神渡に向き直る。

 

「巫とは不思議なものでござるな。

 風のごとく

 空のごとく姿を変える。

 そうして長の腕にあるとあたかもか弱き一茎の花のようじゃ。」

 

問いには答えず、

また、

怜悧な刃の如くあったまでは述べず

老人は微笑む。

神渡も微笑んだ。

 

「巫でございますれば。

 して、

 御老人、

 いかに。」

 

 

「俺が

 都から連れてきた。

 あんたの屋敷は

 すっかり夜盗の巣になってるぜ。

 こいつはさらわれてきたんだ。」

 

タケルが苛立たしげに口を挟んだ。

そして、

ゆっくりと己を見返る朔夜の面に息を呑んだ。

 

 

白い炎が燃え立つ。

その炎を察して神渡もまた目を細めていた。

 

その唇が開く前に

するりと館の門を抜けてきたものがいた。

艶やかな闇の色をした背が紅葉に映える。

 

続いて

鷲羽の一の臣、深水は憂愁の色を浮かべて入ってきた。

黒猫にせき立てられ、

わけも知らされず走ることに慣れてはいたが、

彼は女が、

いや女怪が苦手なのだ。

 

「深水、

 まかりこしました。

 興津の皆様にはようこそおいでくだされました。」

 

黒猫が朔夜の足許にすり寄るのを

タケルは目を丸くして見ていた。

炎は収まり、

朔夜は黒猫を抱き上げた。

陽炎は立ち上っては消えてゆく。





イメージ画はwithニャンコさんに描いていただきました。

ありがとうございます。

 




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