この小品は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。

 




庭を離れると同時に、

翠は静かに石に収まっていった。

半身をもとめる月の勾玉は翠光を抱いてきらびやかだ。

己の胸に抱いた少年はそれを両手に捧げ持ち飽かず眺めている。

仄かに口許に笑みが浮かんでいる。

それが少年には証なのだ。

 

廊へと続く板戸は

たづが引き開けた。

「あれっ?

 かあちゃん?」

可知が〝耳〟から戻ったらしい。

 

今、

耳は告げた。

祭の契りを寿ぐと。

 

前を行くたづの藍の衣が

たづの暮らす客人のための奥の間へと進んでいく。

表から隠れた一続きの間は

廊の外れの角を折れた先に、

遠く、

ひっそりとある。

 

 

背に残してきた男が浮かぶ。

赤色光は

あの男の証なのだろう。

その証のために男は少年を抱くと言う。

 

さながら月光が刃に凝ったかの姿は

男に対峙して現れた。

息を呑むほどに美しかった。

 

 

そして、

男は変わった。

朔夜に囚われる男の狼狽ぶりが思い出される。

まだ己の思いに気付いてすらいまい。

神渡は朔夜を弟と思おうとしていた己を苦く思い起こしていた。

 

 

ほう……と吐息が甘く立ち上る。

「いかがした?」

胸の内とは裏腹に穏やかな声に

苦さは募る。

 

「勾玉が光ります。」

感に堪えぬというように

朔夜が囁いた。

 

 

たづは角を曲がった。

ほんの一時、

朔夜と二人に残され神渡も囁き返す。

 

「われらは契りを交わす。

 勾玉がわれらを寿いでおるのよ。」

引き込まれるように応えると、

朔夜が小さく頷いた。

 

 

そして、

角を曲がった。

その先の廊はぐっと木々が近くなる。

母屋の暮らしが客人を煩わせぬようにと

そうした造りとなっている。

 

藍色の長衣が

まだ色づかぬ緑陰をまっすぐに進んでいく。

迷いのない姫であることだ。

 

 

神渡は

ふと

衣の下に燃えさかる己の証を疎ましく思った。

 

男は男の証のために動き、

己は己の証のために動こうとする。

 

〝赤く染まったんだろ?

 俺のものさ。

 そっちは勾玉の縁か。

 さあ どっちが強いかな〟

 

男の声がひどく明瞭に蘇る。

その声が今はただ哀れなものに思われた。

そこにあるとすら気づかなかった扉がギシギシと揺らぐのが見える。

 

 

 お前は

 勾玉の告げるままに動き、

 今こうしているのか。

 

己を縛める鎖が内から沸き上がる何かに引き千切られ四散していくのを神渡は静かに見詰めた。

 

 

「われのすべてはそなたのものだ。

 そなたおればこそ、

 われは生きておる。」

 

前に続く廊に踏み出す前に、

神渡は重々しく告げた。

朔夜がはっとしたように見上げる。

その手に輝く勾玉は、

今こそ契りを寿いでいた。

 

 

廊を進む神渡の脳裏に

羽化を繰り返しては己を驚かせた朔夜が浮かぶ。

進む一歩ごとに思いは確かめられた。

そのすべての朔夜がいとしい。

ただ愛しく思うことをこそ勾玉は寿ぐ。

 

 

「神渡さま、

 お入りください。」

たづが

板戸を引き開け先導する。

 

 

 

あの者も気づくだろうか。

蓬髪の若武者は

朔夜を恋うる己に。

 

それは知らぬことだ。

神渡は奥へと進んだ。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。


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