この小説は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。



 

「止まれよっ!

 あぶねえっ!」

板敷に真新しい藁の匂いを切り裂いて、

ぱたぱた、ばたばたっと駆け回る足音に

かっしゃーんと器の割れる音が続いた。


ぐえっとも

ふぎゃっともつかぬ唸り声は可知に違いない。

あははははっと楽しげなのは童女だろう。



〝鷲羽はよい土器(かわらけ)を使うておるのう。

    よう薄く仕上げておると驚いたが、

 よく焼いたものなんじゃろう。

    でのうて、

    あのようにぱりんとは割れぬものよ。〟


のんびりとさ湯をすすると、

老人は唇を動かす。

その唇を眺めるタケルが

これみよがしに顔をしかめた。



〝土器の一枚だって

    あいつに借りは作りたくねえ。

    ここを出ようぜ。

    野宿でかまわねえだろ。〟

唇のかたどることばの威勢の良さとは裏腹に、

力のこもらぬ視線を、

老人はにやりと見返した。


「これっ、

 触ってはいけません。」

びしっと声が響き、

騒ぎはぴたりと収まった。

子守りとは、

できる者には何でもないものらしい。



〝まあ あの子はお前にべったりじゃ。

 お前さえかまわなければ

 野宿でも何でも わしはかまわぬよ。〟

老人はずずっとさ湯を飲み干し、

茶碗を置いた。


〝わかったよ。〟

誰の命も聞かぬようで、

育ての親である老人にタケルは弱い。


〝ほう。

 何を分かったんじゃ?〟

老人は思わぬことを聞いたとでもいうように目をしばたたかせる。


〝おれには 子守りはできねぇ。

 なぁ、

 あいつ、ここに置いていっていいよな。

 鷲羽のあれも 責があるとか言ったしよ。〟

ようやく言ったかと

老人はやれやれと首に手をやる。

着替えさせてもらった茶の長衣が不思議と似合うのは品が備わっているからだろう。


もっとも、

同じく仕立ておろしの濃紺の長衣はタケルにぴったりと馴染んでいた。

端正な顔立ちに、

これだけは整えきれなかった蓬髪がはらりとかかるのさえ、

その顔に不思議な魅力を添えていた。



「………よいですか。

 ものにも命がございます。

 こうして、

 欠けたものは接いでやるのですよ。」

「…すまぬ。」

「まあ姫様、

    そんなもったいない。」

「わらわにもできるであろうか。」

「村の衆に、

    できる者がおりますから。」

「ええー それだけー?」

「姫様は詫びているんだよ。

 黙っといで」

「そうじゃ 黙っておれ。」



〝耳〟として賜った役宅であるから、

こうして客を通す間もあるが、

特段他の衆と暮らし向きが違うわけでもない。

薄い板戸一枚向こうの音は筒抜けだ。


童女は満足し、

可知は膨れっ面をしているのだろう。

母は何やら茶碗にまつわる昔話を語り出した。



時は流れる。

口を閉ざすと蠢き出すものが

タケルには鬱陶しかった。


指を首筋にあてる。

薄皮を切り裂いた刃をそこに思い起こそうとするが、

その瞬間がどうしても浮かばない。


花の香がした。

そう思ったときには、

首筋をぬるく伝うものがあった。


わけがわからない。

そう口にしたことも気づかぬほどに、

いつしかタケルは沈みこんでいた。

老人はその声にタケルを見やったが、

声をかけることはしなかった。



腕自慢という自覚のないタケルだった。

自慢する必要すらないほどに、

己が強いことは定まっていたのだ。

岩戸で遠目に見て、

その技は認めていた。


だが、

己が対峙して、

遅れを取るとは思ってもいなかった。



あれは

俺のものだ。

岩戸で、

女と見紛う姿に思ったことといえば、

悪くはないという一事だった。

持ち物は美しいに越したことはない。


そうだ。

油断したからだ。

己を激しく拒絶する冷たい炎は、

息を呑む美しさだった。

あのように細い腕で剣を振るえるわけがない。

そう思ったからだ。

俺のものだ。

あれはわかっていないだけだ。



わかっていないから……。

そこまで思ったとたんに、

腹の中で蠢いていたものが噴き上げてきた。



潔斎の儀とは何だ!?

鷲羽の長に抱かれたたおやかな姿が浮かぶ。

タケルは呟く。

あれは俺のものだ。

疑うこともなかったものが、

ひどく頼りないものとなっていた。




すっと老人が立ち上がった。

タケルははっと物思いから立ち返って、

辺りに気を巡らせるが、

耳の役宅には、

ただ母に甘える子らの気配しか感じられない。



祭支度はほぼ整っているらしい。

ふたたび静まった客間の縁先にも、

五色の組紐で飾られた花籠が置かれている。

老人は、

静かにそこに歩み寄り、

タケルを振り返った。



〝この組紐は、

 興津の産じゃな。

 鮮やかな色をしておる。

 さて、

 接ぐ手だてはあると言うておったが、

 その土器はいずこの産かのう。〟


くくっと笑う老人を見つめるタケルの目がきゅっと細くなった。

〝あんた、

 なんでそんなことばかり気にかける?〟


〝お前が知らぬ話さ。

 知っても何の足しにもならぬ。

 知りたければ、

 知ってよいだけの力をわしに見せるんじゃな〟


なんだと!?

色をなすや、

タケルは板の間に転がっていた。

老人は既に何事もなかったかのように、

円座に座っている。


手もなく転がされたタケルが憤然と跳ね起きると同時に、

がたがたっと表戸が引き開けられる音が響いた。



「可知!

 行くぞ!

 おふくろさま、 

 申し訳なき次第だが……。」


「はいはい承知しております。

 お姫様はおまかせください。」


「なーんだ

 深水様、

 お山に行ったんじゃなかったの?」


「今戻ったんだ。

 次はお前だ。」


「おれ、

 たづ様がよかったなぁ。」


日はいつしか傾き、

客間の板敷に日差しは長く差し込んでいた。


画像はお借りしました。

ありがとうございます。