今年度も間もなく終わりを迎えます。

ああ3月だなぁ。

嬉しい評価を顧客の皆様からいただき、

さまざまな鬱屈を抱えた一年間にも、

報われたものはあるとしみじみとする今日です。



「おばちゃんと○○やんは、

 (周りと)本気度が違うからな」

以前、

亡き戦友と店主が、

ある意味周囲から浮いている点を、

同業ながら得意ジャンルが違う友人が、

飄々とこう一語でまとめてくれました。



本気度

その分析が嬉しかった店主でしたが、

諸々あって、

答えはそれだけとは考えていませんでした。



ほぼほぼ二人で突破していく、

起案、実践、分析、次!!

それができる己に恃むものがありました。

若かった。

ほんと若かった。

青い四十代、青春かっ!?の勢いだったと思っていただければ。



還暦を過ぎ、

できることとできないことがくっきりと見える年代になりました。

組織というものが見えると、

壁も見えます。

仕事の困難というより仕事にかかれない困難の方が、

仕事の困難の大半を占める。

そんなことが理解できるようになりました。

時代の移り変わりというもので、

組織の在り方に軋みが生まれているのも遠因なんだろうと思います。

納得というより理解、

そんな受け入れ方も必要なものです。

やっと少し大人になったということでしょうか。






ややシニカルにもなり、

自分自身では、

ほんと控えめになったと思う一年間でもありました。

それを思うと身に過ぎたことばとも思っています。



本気度が違う。

ふたたびいただきました。

顧客の方々から数多く。


スキルはたいした問題ではなかった。

必要ではあるけれど、

本質はそこではない。

あらためて受け止めています。



職場が大きく変わっていった今年度でした。

雌虎仲間に言わせると180度変わった組織の景色です。

その中で来年度はさらに方向は先鋭的に変わっていく見通しです。



踏みととどまってやる!!

と思ったであろう40代の時期は遠くなりました。

私は変わらない。

そう淡々といられる60代です。



本気であること。

最後まで大事にしていこう。

そう思っています。

重くもあり、

清家さんを語る詩をご紹介するには

自身の弱さが気恥ずかしいのですが、

自身に言い聞かせる意味で、

坂本真民さんが清家さんを語る詩をお借りします。



なにかわたしにでも

できることはないか  

         坂村真民




“なにかわたしにでも

 できることはないか”

清家直子さんは

ある日考えた


彼女は全身関節炎で

もう十年以上寝たきり

医者からも見放され

自分も自分を見捨てていた

その清家さんが

ある日ふと

そう考えたのである


彼女は天啓のように

点字のことを思いつき

新聞社に問うてみた

新聞社からわたしの名を知らされ

それから交友が始まった


彼女は左手の親指が少しきくだけ

そこで点筆をくくりつけてもらい

一点一点打つていつた

それから人差指が少しきき出し

右手の指もいくらかづつ動くようになり

くくりつけなくても字が書けるようになり

一冊一冊と点訳書ができあがり

今では百冊を越える立派な点字本が

光を失つた人たちに光を与えている


“なにかわたしにでも

 できることはないか”

みんながそう考えたら

きつと何かが与えられ

必ずひろい世界がひらけている


年中光の射さない部屋に

一人寝ていた彼女に

手紙がくるようになり

訪ねてくる人ができ

寝返りさえできなかつたのに

ベッドに起きあがれるようになり

あつたかい日はころころころがつて

座敷まで出ることができるようになり

ある日わたしが訪ねた折などは

日の当るところでお母さんに

髪を洗つてもらつていた


どんな小さなことでもいい

“なにかじぶんでも

 できることはないか”と

一億の人がみなそう考え

十億の人がみなそう思い奉仕をしたら

地球はもつともつと美しくなるだろう

片隅に光る清家直子さん!




画像はお借りしました。

ありがとうございます。