感想はおいて、

恋愛倫理の変遷に思います。





登場人物の行動パターンは、

その人物の変容があったとき変わります。

従前の方式通りの出来事に対し、

従前通りの反応ではないことが起こるのなら、

創作者が語りたいことが物語ではないどこかにあるのではないか。


そんな風に感じます。




矢代俊一シリーズで、

これまでそう感じたことがあったかというとないのですが、

今回は感じました。


同時に勝手に納得しました。

それは、

恋愛倫理や哲学といった独白が紙面の多くを占める作品だからです。


☆ヒューゴ・ジンベリ画
 傷ついた天使



ああ

これを言いたくて、

矢代俊一は「羽切られちゃった」と錯乱し、

それを語るならこの人物と決めたから唐突に森田透が俊一を保護することが必要だったのだな、

という感じです。


ですから、

その恋愛倫理について思ったことを書きたく思います。



久しく筆を止めておりますが、

店主、

昨年度までは物語を書いておりました。

誰を選択するかで何事かを告げる勾玉の世界を背景に据え、

心中しちゃうよー 心中しちゃうよー

と泣きながら、

壊れちゃうよー 壊れちゃうよー

と唸りながら、

日々がんじがらめになってゆく世界を掻き分けて。



リアルの激変によって中断し、

今の自分に書けるんかい!?という老獪な綱渡り(汚れた気分)を日々続けての3月でございます。

ま、そこはおいt。



 SEXはコミュニケーション。

 恋愛の頂点にしかSEXはあるべきでないというのはよくある誤解。

 恋愛をしたらSEXはするものだというのも違う。

 



スリムであろうがマッチョであろうが、

鍛え上げられた肉体をもつ、

やたら戦闘能力の高い男性(矢代俊一を愛している面々)たちに、

これは語らせられません。

そのまんま、

欲望に直結です。



森田透、

細身の美声年、

スターから男娼に堕ち、

どこまでも受容することで、

恋敵だった男すらも癒す友となれる存在です。


なるほどなと思いました。

そして、

森田透のSEXがその語りに説得力をもたせます。

「自分を縛り付けなくていい」

古い映画ですが、

エマニュエル夫人とは違います。

欲望に素直にという意味ではなく、

誰か一人を選ばねばならないわけではないという意味でです。



うっわーーー

そうできたら楽だけど、

そう書ける自分はいないと思いました。



二つの勘違いと森田透は言います。

ただし、

恋愛とSEXが完全に別物というのもどうかと思うと。

恋愛できそうな相手でないとしたくはないものだよと。


その路線を自然に構築するのは

難しそう。

そもそもこの作品でこの語りを入れるまでの流れも難しかったんじゃ……。



うーん

と考える午後でした。

午前中はお仕事、

帰投午後二時、

それから読んでました。

ああ また昼寝をしていません。


画像はお借りしました。

ありがとうございます。


☆追伸

 冗談みたいですが、

 「ありがとうございます」を打ち込むと同時にシャットダウンしました。

 充電状態確認大事です。