もう世界が一つになっての大会は、

開催できないかもしれない。


そんなことを思いました。

ロシア、中国を中心としたブロック、

欧米諸国を中心としたブロック。

ブロック大会しか成立しない世界を思いました。



ことばから受けるイメージとしては、

排除した過ちを詫びるのでなくては、

収まりそうもない。

ロシアの英雄のことばは、

そんな上位に立つ者の怒りに満ちていました。




 強盗殺人の犯人に、

 もう爆撃しないでくださいと

 膝を折り、

 貢ぎ物を捧げ、

 逆らった非を詫びなければ、

 殺戮は終わらない。


 だから仕方ない。


そんな世界を子供達に見せるのかと思うと、

やるせない思いです。

戦争は人の心に起きるもの、

ユネスコ憲章の前文の真理を思っています。





軍備競争はスタートを切りました。

無理が通れば道理が引っ込む。

攻撃されないためには強者になるしかないという理解が、

世界に広まっています。

それは後戻りできるものではない。


すでに

人の心に高く高く壁は築かれ、

その向こうから核ミサイルが飛んでくるという未来が、

今は杞憂と笑い捨てることができません。



非核三原則、

かなり大きく揺らいでいます。

平和のために軍事力をもつ。

そのために税金はある。

その先を思うと、

人類の知恵を絞っていかねばならないでしょう。




以前書きましたが、

沖縄出身の友が、

絶対許されないと反発した合唱曲があります。

息子さんの学校での話でした。

その歌は「いざ立て戦人よ」です。

神のために戦うことを鼓舞するものが、

戦前の日本とつながって感じられる。

その感覚が、

ウクライナ侵略を巡るロシアの方々のことばに触れて、

初めて身に染みています。



海ゆかば  大伴家持

海ゆかば 水漬く屍

山ゆかば 草生す屍

大君の辺にこそ死なめ

かへり見はせじ



この歌と


いざ立て戦人よ

忘るな勲

われらの父祖の

つづけよ同胞

守れこの地を

歌声あわせて潮のごとくに

正義のみ神は

われらの守り


この歌。



戦争というリアルと重ねるとき、

歌われたときの最初の思いを離れていくものを秘めています。



神も正義も、

人を殺すためにふりかざされるとき、

それは本来の意味を喪失する。

そして、

人は簡単に正義に酔います。


だからこそ、

まずは、

自分に言い聞かせること。


 何国人という人はいない。

 一人一人の人がいるだけ。


自戒せねばなりません。

この国の歴史にも、

かつてそうした狂気がありました。


画像はお借りしました。

ありがとうございます。