人が人を殺してはいけない。

それを強く思う日です。






 自分の指が引き金を引き、

 目の前で血が噴き上がる。


そんな殺害現場が浮かぶ亡骸が、

道に倒れていました。



ロシア兵士が

自ら降伏する画像も、

おそらく事実なのでしょうし、

説明もなく派兵されたというのも事実なのでしょう。



でも、

陥落させた街に入り、

自分達は強いと高揚したとき、

誰かが最初の一歩を踏み出してしまったのでしょう。


 撃たれた体が跳ねあがり、

 人形のように倒れ、

 痙攣する。

 覗き込むまでもなく

 見開かれたまま焦点をうしなう瞳が

 撃った自分を見つめる。



自分が誰かを殺したことを受け止めるのは、

正気では難しいことです。

神が許しません。

でも、

殺してしまった。



そうなったら、

殺すことを正義とするしか、

殺した相手が殺していい存在とするしか、

自分が生きていていい理由はみつかりません。


一人、

また一人と、

その闇に落ちていくごとに、

銃はますます火を噴きます。



 殺されそうになった

 助けてやりに来たのにさからった


どんどん理由は軽くなり、

人を殺し続ける自分の正義は

ぎらぎらと冷たく光ります。



市街地に点々と発見される亡骸。

それは、

もうプーチン大統領一人の狂気では収まらなくなった、

殺人衝動に囚われた兵士たちが、

次々と生まれていることを示しています。



戦争を始める罪の重さを思います。

命を奪うこと、

正義に魂を喰らい尽くされた鬼を産み出すこと、

その鬼がさらに次の鬼を産み出すこと、

罪は深く深く人を染めていきます。



突然ですが、

日本は死刑を廃止できないかと思いました。

死刑がある限り、

誰かが誰かを殺さなくてはなりません。

どんなときも、

人は人を殺してはならぬと示すために、

死刑を廃止できないかと思いました。



画像はお借りしました。

ありがとうございます。