ファンタジーであるならば、
強く優しき王が敵国を撃破したあと、
王の慈悲により、
民たちは豊かな生活を送りましたとさ。
となるのがお約束。
ですが、
優しい王は侵略をしませんし、
武力で支配された民は、
それを慈悲とは思わない。
ロシアと中国で展開する物語と、
ウクライナを含む民主主義国家で展開する物語は、
同じ惨禍を語っていながら交わることがありません。
世界は二つある。
そう考えた方が心が落ち着くようになりました。
何をつきつけてもフェイク・ニュースだと返る言葉と、
ロシア国内での戦争支持率は、
〝世界は一つ〟ではないことを語っています。
ロシアからの輸入に頼らぬことを模索する動きが、
あちこちで起こっています。
残念ながらエネルギーの主流は原発に移っていくかもしれません。
原発以外の道がありますようにと祈りつつも、
先日の世界選手権のように、
それぞれの世界で、
それぞれの文化を築く道が浮かびます。
共感できる土台が、
ここまで違ってしまっては、
物資も文化もやり取りが難しい。
世界がひび割れていくのが残念です。
昨日はNHK「100分で名著 戦争論」全4回を拝見しておりました。
恍惚をもたらすものとしての〝戦争〟、
ロシア軍兵士の行為に重ねて見てしまうのを、
申し訳なく思ったり、
いや普遍的な考察なのだからむしろ特に残虐な国民というわけではないという論拠になるだろうと思ったりしていました。
普遍的な情動。
戦争がもたらす嗜虐の快感、
それがなくて、
これほど過剰な暴力行為を時間をかけて行う必然は考えにくいものです。
人の心は、
〝戦争〟という状況の中で、
大きく変質していくのだということでしょう。
この二つの世界で、
どう平和を築くかは、
ここからの選択にかかってくるのでしょうね。
でも、
舞台鑑賞派フィギュアスケートファンとしては、
不思議なほど、
ロシアの演技を観たい気持ちが消えています。
文化は感性に基づく。
そういうことなのかもしれません。
さて、
本日は、
退職した雌虎仲間とのおじゃべりで、
時間を過ごしました。
悠々自適ぶりもたっぷりと聞かされ、
姉の吉野行と合わせて、
羨ましい限りです。
さあ、
彼女の情報網からの支援を期待し、
いきなり空いた穴埋めをどうするか、
また明日から頑張りたいと思います。
ややリアルに物理的に押されていますが、
こうして記事も書けました。
なかなか明るい記事にならないのが、
悩みどころです。
画像はお借りしました。
ありがとうございます。