これは アスペルガーと診断されたお子たちを

育てている 母のひとり言なのですが・・・・


今現在 軽度発達障害の子供達は

小学校のクラスに一人 二人はいるとされている

もしかしたら もっとかも知れない

診断名をつけたとしても つけなかったとしても

この子供達が成長して行き 社会へと出て行くと

そこは 定型発達=いわゆる 普通の人

と 同じ職場で働く事になる


自立して働くという事は

その会社に利益をもたらす存在にならなければ

雇用して貰えないのが 一般的だよね



数年前 お子たちの療育の教室に明け暮れ

勉強会にもあれこれ 出向き

勉強していた頃

ある 先輩ママさんに こんな事を言われたんだよね

アスペルガーである=免罪符ではない

そう 何をしてもいい訳じゃない

逆に 何もしなくてiい訳でもない

社会には ルールが存在するのだから・・・


その当時私は

この言葉に疑問を感じた

そんな事言ったって この子たちは 出来ないんだから

しょうがないじゃない

周りの人に 助けて貰わないと・・・・・

支援してもらわないと

まともに生活できないじゃないか

生きていけないじゃないか・・・・と


デモね

社会の人たちが

アスペルガーだの ADHDだの LDだのを

どこまで知っているだろう

知らない人のほうが多い

名前くらいは知っている人は いるかも

でも

正しく理解出来ている人は

関わりのある人たちだけだろう

という 私だって お子達の親にならなければ

知ることの無い世界だったと思うもの・・・


支援がないと 正しく社会に順応出来ないでは

すまされたいのだ

発達障害だから 何をしてもいいなんて 訳にはいかないの


福祉制度の充実が整えば

生きていく中で 十分な支援が受けられるだろう

この場合の支援は お金とかではなく

発達障害の人が持つ 苦手部分を補うもの

でも お子達の成人する頃には

間にあわないと思う

てか

そんな日々は 来ないと思う・・・・・

だったら お子たちの 必要なものは

スキルアップだ

社会に順応していく為の 本人達の

スキルの向上だ

その方法は 何でもいい

ちょっと変わっていても それくらいはいい

社会に出て 自立できる力をもてるのならば


守ってやるばかりの支援では 駄目なのだ

失敗しても 本人のスキル向上

それが1番大切なものなのだから・・・・・


今 私はそう感じている

この話 実は お子1の担任の先生と家庭訪問の時

話した内容なんだよね


お子たち

めげずに失敗して欲しい

ちゃんと見守っているから・・・・・・


しゅかママの思い

担任の先生もそう思ってくれている

ちゃんと護ってるから 傷つきながらも成長して欲しい・・・・・

先生も 父さん 母さんも

どんなあなたであっても

大好きだよ 愛しているって事に 変わりはないから