私は音楽に目覚めてから、ビートルズ時代を経て、和洋折衷で音楽漬けの毎日を過ごしていました。


当時は日本のロックは全然メジャーではなく、フォークソングの大物が売れていた頃です。


拓郎もかぐや姫もいいが、甲斐バンドは最高だ、なんて言ってた頃です。


まだ家庭にはビデオが無くて、たまに見る深夜音楽番組のライブ映像はとても貴重なものでした。


大阪に住んでいた私は、小学校高学年から時々、市民ホールなどで開催されるフィルムコンサートに足を運び、好きなミュージシャンの映像を食い入るように眺めていました。


15歳になり、大阪駅の近くの音楽喫茶に行けば、リクエストした曲のライブ映像を流してくれる店が現れました。


「キューピット」というその店は当時、超ボッタクリの1杯400円のコーヒーの店でした。27年前ですよ。


しかも1時間半の滞在が限度で、追加注文が無ければ帰らないといけないシステムです。


友達と出かけて、電車の中で何をリクエストするか相談です。


「よし、俺はレインボーや、オマエはイーグルスにしてくれ」 とか自分勝手な私は1人1曲の大事な選曲を友人の分まで勝手に決めていました。


その店に行かないと外国の憧れのミュージシャンの映像は見ることが出来なかったのです。


混雑している店内はリクエストがいっぱいで、自分のリクエスト曲が流れる前に制限時間の1時間半が経過したこともあります。帰るか追加注文をするかスグに決めなければいけません。


何とか頼んで見せてもらいましたが、今はありえないような、客より、店員がえらそうにするような、殿様商売でした。


当時、一番カッコイイと憧れたのはレッド ツェッペリンです。


また、イーグルスのライブ映像にもものすごい感動して、ドラムをたたきながら歌う、ドン ヘンリーになりたいと思いました。


その後、ドラムを始めて、最初にコピーした曲もホテルカリフォルニアでした。


今日、たまたま見たドラムセットの写真が昔を思い出させました。


ヤマハの新シリーズです。  うー欲しい・・・


Yamaha Drum Set


ビジネス以外の夢のひとつは、またバンドをやりたいということです。


オヤジバンドは結構ブームですよ。


フィリピンでできればうれしいです。


誰か誘ってくれないでしょうか?・・・・  どなたか、一緒にやりませんか?