歳を取ると、誰しも体のあちこちが痛んでくる。
ハハも、脚やら目やら、あちこちの具合が悪いと、週に2~3回は医者通いをしていた。それはいい。時間は有り余るほどあるのだから、せいぜい診てもらって調子が良くなれば何よりである。外に出ていろんな人とふれあうのも良い刺激になるし。


が、問題はその後
ハハは、出かけるたびに何かと買ってくる
共同購入でも、「ワタシも先週頼んだ物を忘れるから、メモしておくといいよ」と言っても絶対にメモらない。そしていくつも同じ物がたまり、それがこっちへ回ってくる。


そんなものが、家にあふれる
タマネギやジャガイモが野菜ストッカーの中で腐っていたり、冷蔵庫の奥で覚えのない生ものが傷んでいたりする。

そのたびに
「ここは買い物の便利もいいから、買うのは自分の物だけでいいよ。ワタシたちの物は買わなくていいから」
「今それはあるから、要らないよ」
「黙ってうちの冷蔵庫に物を入れないで」
というけれど、馬耳東風である。

自分の冷蔵庫(ハハも自分用の冷蔵庫を持っている)にも物がたくさん入っていて、新品のまま、あるいは少し食べただけで腐らせている。
大量の冷凍食品が、ゴミ箱に捨ててあったこともある。たぶん、新しく来た共同購入の品が入らなかったからだろう。


ワタシは、だんだん物の言い方がきつくなってきた
「それ、うちは要らないから」
「また買ってきたの? 何度も何度も要らないって言ってるのに」
「ボケてんの? この前も要らないって言ったのに」

洗濯も、まだ干してある物が乾ききらないうちに洗ってある。干すところがないのに。使った食器を片付けてくれるのはいいけれど、濡れたまま仕舞うのでイトジキがくっついてじくじくしている。かといって、靴はいつまでも何足も玄関に出しっぱなし。
あまりのずさんさというか、自分の生活ペースと違うのに疲れてきた
ますます、ケンのある言葉を放ってしまう。


老人にとって“ボケ”は禁句である。
ハハは、自分がボケてきているとは認めたくないに違いない。だからこそ、見え見えのウソをついたり、言い訳をする。たぶん「自分はちゃんとやっている」ということを、主張したいのだろう。
それがまた、素直でなくて腹立たしい。
わかっているけれど、ついキツいことを言ってしまう自分に自己嫌悪。ハハの変化へのとまどい。そして、余生をこんな環境で過ごさねばならないハハがかわいそうだとも思った。しかし、野放しにしておくと、ますますエスカレートする。
そんなジレンマで、物の言い方がささくれている、ワタシ。


どうにかしたいが、どうしようもない

ハハももう、ワタシが何か言おうとすると、聞こえないふりをして自分の部屋に入るか、「ごちゃごちゃ言わないで!」「そんなにキツイ言い方をするのなら、なにもできないわ」「もう私のことは放っておいて」などと、いらつくか涙ぐむかになってきた。

そしてうちには犬がいて、食べ物に気を遣っているけれど、ハハは何度言っても自分が食べているものをやる。脂っこい肉やお菓子、塩気のキツイものなど、食べちゃいけないものもたぶんあるだろう。しかしお構いなしだ。
ワタシたちは犬を医者へ連れて行ったり、風呂に入れたり。いわばイヤな役を担っている。
甘やかすところはハハがやっているのだから、犬はワタシたちよりハハになつき、ハハの部屋に入りびたるようになった。
おいしいところだけ、持って行かれてるのだ。


そんなこんなで、同居して2ヵ月も経たないうちから、我が家には不協和音が鳴り響くようになった

たぶんワタシが目をつぶれば良かったのだろうが、ハハのそういうクセに対して、オットも不満を漏らすようになってきた。
せっかくオットが「一緒に住んだら」と言ってくれたのだから、オットに負担を掛けちゃいけない。自分の実家だけに甘い顔をして、遠く離れたオットの実家は疎遠になっている。そう思われたくもなくて、「ワタシもハハにはちゃんと注意していますよ」というアピールもあった。

毎日毎日、ほとんど喧嘩腰。それでも、ハハは要らないことをしてくれる。
そんな中での、オットの急変だった