この日は湯豆腐など、あっさりしたものを作った。それでもオットは食が進まず、テレビも上の空。もちろん、会話もほとんど無い。
お通夜のような食事を済ませ、早々に後片付けする。しんどいだろうに、「いいよ」と言ったにもかかわらず、オットは茶碗を洗ってくれた。

常日頃、たいていはワタシが作ってオットが茶碗を洗うことになっている
そして、洗った茶碗をそのまま放置すると、ハハが濡れたまま片付けてしまうので、拭いて仕舞うことにしていた。

この日は、オットにすべてしてもらうのはかわいそうなので、洗った茶碗をワタシが拭いて片付けていった。残り物は小鉢に移し、冷蔵庫へ入れる。
が、その時…。ワタシは湯豆腐の残りを、たまたま流し台へ置いてあった小丼に移してしまった。それは、ハハが置いたものだった


我が家は1階にLDKがあり、ユーティリティを挟んで離れがある。そこにハハは住んでいる。離れには小さいキッチンと冷蔵庫を置くスペースもあり、ハハの物はこっちに入れている。そして食事を作るのはLDKだが、食べ終わった後の食器は自分のキッチンで洗っていた。自分のご飯茶碗や箸は離れの食器棚に置いてるが、共用の食器はLDKの食器棚に入れてもいた。
そして、ワタシたちへと思って買ってきた物は、LDKの冷蔵庫へ入れる。食器も、「あなたのとこで使わない?」と買ってきた物をLDKに置いてたのである。


この日、ワタシはうかつにも、たまたまLDKへ置いてあった丼に移したのである。
それを見て、オットは切れた

「お母さんが買ってきた茶碗を、要らないと言っておきながら、お前はなぜ使うんだ」
「いや、たまたまここにあっったから…」
「ここにあったら、何でもいいのか? お前はそういうことはどうでもいいのか

そして折悪しく、うちの冷蔵庫には、ハハが買ってきたうどんが忍ばせてあった。オットは、昼間それを見ても黙っていたのだが、わざわざ冷蔵庫を開けてうどんの袋を取り出し、私の前に置いた。
「このうどんもお母さんが入れたんだろっ。どうして断らないんだよっ

いまさら、なぜ昼間のうどんの話になるのだ…。そう思って黙っていると、「返してこい」と言う。
もう時間も遅かったし、「またあとで返しておくから」と答えると、ほかのいろんなことにも怒ったあげく、また泣き出した。
そして、よろけながら寝室へ上がって行った。

ワタシは、こんな夜遅くにうどんを返しに行くわけにもいかず、さりとて今から食べるわけにもいかない。もったいなかったが証拠隠滅のため、仕方なく外のゴミ箱へ捨てに行った。
たかが、うどん。されど、うどん
せっかく友人が話を聞いてくれ、ラクになったみたいなのに…。
ワタシの不注意で、元の木阿弥
ちょっとの面倒で、取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんだ。


その翌日。
また食事の支度をして、オットとテーブルに着く。そして食べかけたとき…。
今度は、ワタシの態度が気に入らないと言ってきた。
「お前は今日の昼間、電話口で笑っていただろう。オレがこんなに辛い目をしているのに、お前はオレに聞こえるように笑った

たしかに今日の昼間、仕事のお得意様から電話があった。気の置けないお得意様なので、会話も気楽である。そして話の間に冗談を言ったり言われることもある。そんな間柄なので、会話の途中にバカな冗談を言われ、ワタシは笑っていた。
別にオットの噂をしていたんじゃないし、電話の後は黙々と仕事をしていた。しかしオットは、その笑い声が気に入らなかったらしい。

一人だけ、楽しそうにして。オレのことなんか、どうでもいいんだろう


オットには、そう思えたのだろう。
そんなつもりじゃなくても、そう思えたのだろう。
そして、昨日の丼とうどんの話を蒸し返す。
「昨日のうどんは返したのか」
「いや、捨てた。でも、もう買ってこないようにちゃんと言っておいたから」
本当に昼間、ハハには、オットの調子が悪いこと。しばらくはワタシたちを放っておいてほしいことを言っておいた。
ハハはたぶん納得してなかったろうけど、オットが尋常でない様子は家出騒動以来なんとなくわかっているようだったので、たぶん了解したと思う。

しかしオットは続けた。
「だいたい、お前とお母さんはすぐケンカするだろう。お母さんは要らない物を買ってくるし、お前は何かにつけ喧嘩腰でお母さんへものを言う。オレはそれが辛いんじゃ。やり合う声を聞いて、こんなになったんだよ

ワタシの言い方は、きつかったかもしれない。
が、しかし。
オットがハハの性癖を疎ましく思っている以上、ハハには言って聞かさねばならない。ハハにじゃらじゃらと甘えるのではなく、きっぱり言わねば通じない。そう思っていた。そしてもう一つ。ワタシのハハと同居しているのだから、もめ事はすべてオットへ波及させず、ワタシのところで食い止めたかった。
そういう思いもあって、ハハにはついキツイ口調でものを言っていたのだ。
しかしオットには、ワタシがヒステリーっぽくハハに当たる、としか感じられていなかったようだ。こうなると、すべてのことが裏目に出る

オットは、「お母さんを呼んでこい」と言う。
何度か「ワタシから言って聞かせるから」となだめたが、通用しない。
今日は、このままでは済まされないな。そう腹をくくり、離れへハハを呼びに行った。

怪訝そうに出てくる、ハハ。


二人を前にして、オットはかなりキツイ口調で怒りはじめた。
ハハには、要らない物を買ってくるな。オレにかまうな。人の言うことを聞け。
ワタシには、ハハとケンカするな。
オレは力が強いから、殴ったらお前らの骨が折れるだろう。たたいたら顔が腫れるだろう。だから今までじっと我慢していたが、我慢していてこんなになったんだ。

長丁場である。
オットは、「これだけ言って直らないんだったら、お前ら殺すぞ。オレも死ぬ。みんな巻き添えにして死んでやる」と息巻く。
完全に目が据わっている。本当に、今すぐ首でも絞めかねない表情である。
ハハは「まぁまぁ。わかりましたから…」と、うやむやにして離れへ戻ろうとする。そりゃぁうっとうしいだろう。が、このまま返したのでは追いかけていって一悶着、もないとは言えない。だから、とにかくここは謝るように、目配せで合図した。そしてまずワタシから「ごめんなさい。これから気をつけるのでかんにんしてください」とひたすら謝る。ハハも目配せに気付き、とりあえず謝って離れへ戻っていった。

まだしばらく興奮さめやらぬオットだったが、言うだけ行って疲れたのか、またぐったりしながら寝室へ上がっていった。

家中に、どんよりした雲がたれ込めていた。