あのグチャグチャだった時、ワタシはカウンセラーの友だちに何かと相談していた。だから彼女もいろいろ心配してくれていた。
あれから2ヵ月近く経ち、彼女へのお礼と近況を見てもらいがてら、年末に家で食事をした。その時は普通に食事をしていたけれど、なんとなく偉そうな態度を取っていたオット。しかしこの日は早朝から仕事で出ていたので「眠い」と先に寝室へ上がった。
友だちと二人になり、お茶を飲みながら話をする。
ワタシはずっと気がかりだったことを聞いてみた。
「あのさー。ああいう態度とか、やってきたことを見てると、タダのうつじゃないよね」
「そりゃそうよ。他人と家族と、同じ時間軸で態度をころっと変えられるなんて芸当、うつの人にはできないよ」
「やっぱりあれって、人格障害じゃない?」
「うん。その疑いは濃厚だね」
「前に白豚女と遊んで、あちこち切って血を流したメールを送りつけてこられたでしょ。あの女はもう絶対に境界例だと思ったけど、オットは自己愛性か境界例か、ちょっと判断つきかねるんだけど」
「それはなんともいえないね。依存的なところもあるし」
「どっちにしろ、寛解しましたぁってとこには到達できないような気がする」
「そうだね。でも人格障害なら、別れるときは一筋縄ではいかないよ。みかんは『別れても仕事では協力し合い、友人みたいな付き合いに戻ろう』とか思ってるかもしれないけれど、人格障害の人とそういう円満解決はしにくいから。想像したくないけれど、修羅場になるかもしれない・・・・」
「やっぱり。ワタシもそうじゃないかと思ってたんだ」
「腹をくくる覚悟を決めておかないとダメだよ」
「・・・うん」
ワタシは今まで、何人も境界例の人を見ている。パターン的にはこっちの疑い濃厚なんだけど、自己愛っぽい感じもある。「うつ」というのはその時々の状態であって、オットの根っこにはパーソナリティの問題があるのだろう。
そう思っていたのだが、話の中で「以前読んだ専門書の中に、人格障害だと診断された人の中にはアスペルガーであったという事例がある。子供の頃は気付かれずに成長し、風変わりな行動をよくよくたどってみればそうだったということもある」と彼女から聞いた。人格障害だと断定できないのも、このあたりかららしい。
結婚する前、オットは「一時、心身症になった」と言っていた。結婚してからも、あまりに子供っぽい言動に頭の中がだらけになったこともあるが、当時はまだそれを「個性」だと思っていたのだ。
彼女はまた
「みかんは、区切りがつくまで今の生活を維持しようとがんばってるけど、そういう態度が「まだ行ける、大丈夫だ」と思われてる節もあるよ。テレビを買って良いでしょうかとか、遊びに行かせていただいていいでしょうかとか、みかんは嫌味で言ってるかもしれないけれど、そういうのも自分がコントロールできるという認識につながるから、やめたほうが良いよ」
と言った。
そうなのか。
オットが単なるうつではないとは薄々感じていたことだが、これからどう行動すべきか、ものすごく慎重にやらないといけないだろう。我が家の事情は、おそらく今年がネックになる。ここからどうアクションを起こすのか、ますます悩みどころなのだ。
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