神(榊)という字は、雷が 

生命の木を蛇(龍)のように螺旋を描きながら

昇り降りする様子を表しています。


この世界は 

大地から生まれた(生命=母性)と 

天上世界から降りてきた(雷=父性)の

融合によって 精神が形づくられた…

それを ユダヤの神秘主義の世界観では

原初の人間 アダムカドモ といいます。


日本神話では、イザナギに相当します。

そのイザナギが 死んでしまった女神イザナミに会いに行くために、黄泉の国に向かう逸話がありますが、

これとまったくと言って良いほど似た話が
ギリシャ神話にも存在します。

オルフェウスが、死んでしまった妻エウリデイケーを生き返らせてもらうために冥府に向かう話です。


オルフェウスとエウリュディケー


亡き 女神に逢いに
男神が死後の世界に行くという点でほぼ一緒です。

さらに似ているのは、 地上に出るまで後ろを振り返ってはいけない=妻を見てはいけないと言う戒訓が両方の神話に盛り込まれています。

イザナギの場合は、
思わずイザナミの姿をみてしまいます。

オルフェウスの方は、元より振り返ってはいけないとハーデスに告げられていたものの、あとわずかで地上というところで喜び、思わず振り返ってしまいます。


(追記: そういえば 千と千尋の神隠しの終盤で「トンネルを出るまでは振り向いてはいけない」と、ハクは千尋に対し言いますが、これも日本の神話とギリシャ神話の「見てはいけない」を踏襲しています。)




少し話が横道にそれますが、
人間は 元々“両性具有だった”という説があります。

ヒーラーのダスカロスによると   

両性具有だった人類が

両性具有ではなくなったとき、


男と女の両方に引き合う感情が生まれ、

彼らのサイキカル体(アストラル体)が 発達した。”

と言います。



シュタイナーも

 “かつて両性具有だった私たちは、魂から物質への下降を経験し、再び より高次の状態(両性具有)に至るために、男と女という性に分かれ、それにまつわる欲や葛藤を経験しなければならなかった”と述べています。


つまり、

我々の前前前世は両性具有だったのに、

それが男と女に分かれたものだから、

失われた半身(片割れ)を求め合うようになった。

これが ソウルメイトや 

ツインソウル神話の始まりです。




ルドルフ・シュタイナーは
古代エジプトのヘルメスの秘儀に参入した者は、
沈黙する女神 イシスの姿をはっきり視たといいます。

そのイシスと一緒にいる夫オシリスを「宇宙音楽、創造的言語」として 霊能者は 認識していたそうです。

しかし 時間が流れて エジプト時代後期の霊能者は、
悲しげなイシスを見るようになった、と言います。

なぜなら、オシリスが消えたからです。

イザナギとイザナミ、瀧と三葉のように、
オシリスとイシスが 突然 引き離されたのです。

シュタイナーの解釈では、イシスが 夫を何者かに奪い取られた…というのはあくまで比喩で、

実際は オシリスと呼ばれる魂の片割れが イシスの元を去り、人間の領域に入るために地上へ降りたったことを意味しているようです。

魂の片割れが 物質世界へと下降することによって、 静寂の非物理次元(楽園)にいるイシスと離れ離れになってしまった物語なのです。

それから、イシスは オシリスの魂や人間を導く ムスビの女神、アニマ、シンクロニシティの神になります。

女が台になって 「始」という字になる。世界の始まりの土台をつくったのは 女(神)かもしれません。

「君の名は。」では 瀧にとって三葉はアニマであり、
 逆に三葉にとって瀧はアニムスです。

三葉が乗り移った瀧が女子力を発揮して、奥寺先輩から好意を寄せられ、願望実現を果たしたように

イシスは 長い間 インスピレーション(アニマ)として
愛する存在を導いているのかもしれません。





イザナギやオルフェウスの神話のように

神話には一度  地下世界(底)に落ちてから

再び 主人公は地上に帰還する物語が多くあります。


我々の人生も 神が  大事な役目を任せるとき、

一度 その人を 奈落の底に突き落とす…といわれます。


人が 大いなる気づきに到達するのは 

人生がうまくいって 調子に乗っている時ではなく、

底の世界(闇)にいる時が多いのではないでしょうか。


底抜けに明るい人が、

本当に底が抜けている理由は、

底が抜けて 闇が光に変容した体験をしたからです。

底を抜けると、底抜けに光るんです。


(※ちなみに 生命の樹は「逆さまの樹」とも呼ばれており、下図のように上側に根を張り、下側へ向かって幹や枝葉を茂らせています。)

つまり、

自我にとっての死(底への下降)が 実は   
 魂の上昇である”ことを意味しています。





皆さんも人生が大きく変わる前に 一度 別離や

引きこもり、病気を経験したり、

どん底にいる時に  大きな気づきだったり、

人生を変える経験をされたのではないでしょうか?


そう考えると 宇宙(ユニヴァース)も 

人生も 神話も上↑下↓を行き来する

 トーラス構造になっているのかもしれません。




シュタイナーによれば、

いま私たちの周りに 自然界が広がっているように、かつては 宇宙霊や女神が私たちをとりまいていた”。と言います

そして


かつて 外側にあったものは、

  いまは内在化され、


いま 私たちの周りにある世界は、

将来 私たちの内的生命(内面)になっていく


とも表現しています。



どういうことかと言うと、


かつては 私たちをとりまいていた女神は、いまは 


私たちの信仰や神話(内面)になっていたり、


 今年7月まで三浦春馬さんは外界に生きていましたが、 


現在は 私たちの内面(物語)で生きていますよね。



同様に  “いま 周りにある世界も、


変化して  私たちの記憶・思い出になり、


遠い未来には 物語や神話になるわけです。



このように宇宙(ユニヴァース)は、


外と内が反転して 裏返りながら展開しています。



ユニヴァースとは、ユニ(ひとつの) 


ヴァース(裏返りながら展開する)という意味です。





愛ネコのあとがきにも書きましたが、

そういう意味でオルフェウスやイザナギが 


うっかり後ろを見てしまったことというのは、


失敗ではなく、成功なのだと思います。



振り返ってしまったことで  オルフェウスの中で  

新たな歌(旅)が始まったのだから…。


男女や二元性が本当に一つになってしまったら、

歌や物語は生まれなかった。


死は詩を生み、歌や祈り、物語を生みだした。


別れたり、欠如や喪失があるから、

鎮魂や賛美歌のような形で 

何度も歌や物語が紡ぎ出されてきたのです。







いよいよ 新刊「愛を知ったネコ」

今週末に発売されます。