浜甲子園 あの頃の彼女へ | taisho off”stage ~魂つきるまで~ ステージと私と大脳皮質基底核変性症(CBD) #corticobasal degeneration

浜甲子園 あの頃の彼女へ

高校野球を観てて、思い出す。

親父の事業失敗で夜逃げする日、当時 付き合ってた彼女に電話して、「当分 会われん」「何処に行くん?」「わからん」と短い会話をして、


親父の車で夜逃げして、途中割愛 

埼玉の深谷のパチンコ屋に親父とお袋と住み込みで働いてたけど、


「CHANGING ALL THOSE CHANGES」2枚組シングルのレコーディングが決まり、

お袋に「大阪帰るは」と言ったら「サングラスは外すなよ」と。


埼玉にいる時、給料のほとんどを500円玉に両替し、毎晩 彼女の家に電話した。けど彼女は家におらず、いつもお母さんと喋ってた。


彼女は出会った頃、保護観察付きだったので、真面目な服装をしてたけど、保護観察が取れたんだろうね。夜の仕事を始めてた。


大阪に帰ると言っても、厳密には彼女の住んでた甲子園。海の近くの浜甲子園。


彼女のお母さんが布団を貸してくれて、彼女の妹がラジカセを貸してくれて。


給料で買った扇風機の梱包に使っていた発泡スチロールのくぼみを利用してクシやドライヤーを立てて、


近所のパン屋のプラスチックの運搬用のケースをパクって、そこに洋服を畳んで入れてた。


メンバーともギクシャクした関係に…


生活は荒れた。

給料をすぐに使い果たしたり、ライブの日にはお金無いから、ローソンで白の肌着を買ってライブに出たり。


大家さんのおばちゃんは優しかった。

家賃はある時でええでと言ってくれたり。


部屋にはトイレはあったけど、共同風呂。

夜遅くアパートに帰ると湯船のお湯はカラ…冬は寒い中シャワー浴びてた。


一度だけ彼女の家に行き、彼女の横で寝た。

勿論、彼女のお母さんや妹と一緒に。


あれは、また東京に行くから、最後にお母さんが会わしてくれたのかな?


シングルの発売日記念ライブが解散ライブになったからね。


で、これ以上 関西に居る必要は無いと思い、東京のnaokiに電話して「そっち行ってええか?」と聞くと「ええよー」と。


夜逃げの日、「待っててな」の一言を何故言ってあげられなかったのか?


50歳を過ぎて彼女の気持ちがわかった気がする。


同じ歳の彼女だったけど、いつも僕をお兄ちゃんお兄ちゃんと呼んでくれた。


今頃、幸せに暮らしてるかな?