出口王仁三郎の戦争や軍備、国防に対する考え | フリーランス宣伝使への道

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戦争法案だなんだと騒がしい昨今ですが、

「戦争とは?軍備とは?国防とは?」

を私の尊敬する偉人達の言葉で紹介しようと思います。


最初はやはり私が一番尊敬する出口王仁三郎師の言葉です。


出口王仁三郎 - Wikipedia


神界・幽界・現界に達観した王仁三郎師の言葉は多くの人の
参考になる事とおもいます。


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三鏡(月鏡)より


「軍備縮小はよいが、軍備撤廃は断じて不可である。

ミロクの世と雖(いえど)も軍備はあるので、これは一日も弛(ゆるがせ)にすべからざるものである。

もし之を撤廃すれば又直ぐに悪の蔓る世になるので、いつの世になつても弥陀の利剣は必要である。

剣は三種の神宝の中の随一である、璽も鏡も後に剣なくては完全に其使命を遂行することが出来ない。

鏡は教であつて之を梅に配し、璽は政治であつて、まつりごとと云ふ意味よりして之を松に配す。

剣は武力であつて之を竹に配す。

この三つのものはどの一つを欠いでもならない。

松、竹、梅と世に目出度きものの表象とするのはこの理由によるのである。

天照大神様の御霊は璽と鏡、素盞嗚の大神様の御霊は剣であらせらるる。」



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三鏡(月鏡)より


「精鋭なる武器の整つて居る国が細矛千足(くわしほこちたる)の国である。

我国に世界無比の堅艦陸奥だの長門だのと言ふ軍艦を持つてゐる事は人意を強うするに足る。

覇道を一たん布いて後王道を布かねばならぬ程世は乱れ切つてゐる。

戦争でもつて、一たんは神洲日出る国の武威を世界に示さねばならぬ事が来るかも知れない。

而して後愛善の誠を世界にいたさば、真の平和と幸福とを招来することが蓋し左程の難事でもあるまい。」


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昭和青年会  出口王仁三郎氏に挙国更生を聞く(2)


王仁三郎
『元来日本は宰相や外交官が弱かつたら戦争をせねばならなかつた。

日清戦争にしろ日露戦争にしろさうである。

日清戦争の時、わしは廿六歳の時であつたが、
当時の総理大臣の伊藤さんの腰が弱かつたから戦争が起つた。

窮鼠却つて猫を咬む様になつて、日清戦争が起つた。

又その次の日露戦争が起つた時にも伊藤さんの腰が弱かつたから露国が付込んで来た。

それでとうとう堪らなくなつて戦争をした。

今度も幣原外交及び各当局者の腰が弱かつたから、満洲の戦争が起つた外交の弱いのは軍備が充実してゐない時である。

軍備が充実してゐる時には外交が強くなる。

日本は国民皆兵の国であり細矛千足の国である。

「千足」といふ事は「一切の」といふことである。

子供も、爺も婆も、みんなといふ事が千足といふ意味である。

「細矛」といふ言霊は約り、矛と劔といふ意味もあるが、言霊学から云へば「細矛」といふのは「秀でたる子」であり、日本人は秀子(日子)であり、細矛といふのである。

その尚武の気をもつて居る国民が国内に充実して居るのが「細矛千足」といふ名義となつて来たのである』


成瀬
『それでは軍備を拡張し、国民が国防といふ事に力一パイになつて居るといふのは御神意に叶つて居る訳でムいませうか』


王仁三郎
『さうである。

阿弥陀も弥陀の利剣と云つて剣をもつて居る。

即ち折伏(しゃくぶく)の剣と摂受(しょうじゅ)の剣を持つて居る。

この摂受の剣をもつて人を助ける。

それから折伏の剣はどうも仕方がなくなれば、これを振つて折伏せしむるのである。

諸刃の剣になつて居るのは折伏の剣と摂受の剣である。

自分の顔に向つて居る方が摂受の剣であり、向うをむいて居るのは折伏の剣である』


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このように王仁三郎師の考えは敵が攻めてきても何もしない
ひ弱な無抵抗主義とは全く異なる事が分かると思います。

チベット仏教などは立派な思想があり、伝統もある宗教でしたが、
無抵抗主義という理想論(精神論)に傾き過ぎて、その結果
超唯物主義の中国共産党に徹底的に打ちのめされてしまいました。

その点日本は色々な面において精神と肉体のどちらも大事にする
バランスの取れた国柄だと言えます。

それが如実に表れているのが日本の武道です。
特に合気道などは高い精神性を持ちながら現実的な争いなどにも
対処できる非常にバランスの取れたいわば精神・肉体の同時修養術だと言えます。

そして、その合気道の開祖植芝盛平翁は若いころ大本教の信者で
あり、王仁三郎の弟子でもあったのです。


植芝盛平 - Wikipedia




その植芝盛平氏が合気道の極意を開眼するひとつのきっかけとなった
王仁三郎氏とのこんなやり取りのエピソードがあります。

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盛平があるとき、ミロク殿の西門までくると、作業中の一人が、

「植芝さん、ちょうどよいところへきてくれました。あなたのところへ今使いを出そうと思っていたところです。この石をもちあげてくれませんか」

というのであった。
 
見ると千貫(約3.5トン)もありそうな大石である。それが低地にめりこんでいる。
 
「これはダメですよ、いくら力があってもムリですよ」
 
と盛平が答えているところへ王仁三郎がでてきて、
 
「植芝さん、これは言霊で力をだして動かさねばあきまへん」
 
といった。
 
「コトタマって何ですか」と聞くと、
 
「この石を動かすには、ウの言霊やな、真気を集めて、ウの言霊を発して浮かせるんや」といって、言霊の説明をした。
 
盛平は、「やってみましょう」ともろ肌ぬいで巨石に両手をあて、渾身の力をふりしぼり、「ウ・・・」の言霊を発すると、不思議や、巨石はむくむくと動いて、ほんの少し移動した。
 
どんな強力でも、とても動かせまいと思われた巨石は言霊で動いたのである。
 
自分の力量を知っている彼は、全く驚くべき奇跡を体験したのである。
 
合気道開祖植芝盛平伝 「武の真人」 砂泊兼基著
たま出版 74項


☆王仁三郎師と植芝盛平翁についてもっと詳しく知りたい方は
こちらもチェック!
[論説]大東流と大本教 ―― 合気道の二大支柱

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このように高い精神性と実践性を兼ね備えた合気道の極意のきっかけを作った王仁三郎師は武道にも精通していたと言え、その意味でも
先に紹介した軍備・国防に関する王仁三郎師の言葉は非常に説得力があるものと思われます。

皆さまが軍備や国防について考える際の一助になれば幸いです。


惟神霊幸倍坐世


∞タツ∞


 
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