石原夏織ちゃんという声優を好きになって、もう12年ほど経っただろうか。


度々触れてきたように、僕はどうやって彼女と出会い、そしてどうやって彼女を好きになったのか──その歴史を、既に忘れてしまっている。


漠然とした、おおよその時期は何となく覚えているのだが、いつ、どこで、どのようにして彼女を知り、何をもって好きだと自覚したのか、正確な答えがどうしても思い出せない。


よく、ファン同士の会話や本人とのお話し会で「○○の時期からのファンで〜」というやつをやると思うが、僕にはそれができない。


気がついた時には、もう夏織ちゃんは僕の心の奥深い位置にその居場所を取っていた。


この事実は、僕が“石原夏織オタク”を名乗っていく上で、ある種の劣等感じみた憂鬱を形成し続けている。


それは灰色をした毛玉のようなもので、気体のように漠然としていて、それでいて確かな質量を持つ腫瘍のように、僕の脳や胸、腹の奥底に居座り続けている。


恐らく──いや、ほぼ間違いなく──僕はこの宿痾を寛解させることなくこの生命を終える。


大袈裟だと笑ってくれて一向に構わないが、誰かを好きになった経験がある人ならわかってくれるのではなかろうか。


好きな人との出会いを覚えていない。


これほど辛く情けないことは、この世においてさほど多くはあるまい。




そんな、いささか歪な形の“恋の病”を抱えつつも、僕はこれまで、夏織ちゃんのことを応援し続けてきた。


我ながら、一度好きになったものについては極めて飽きにくい性質をしていると思う。


何かの本で読んだ情報によると、飽きない人というのは、同じ相手に対して何度も惚れ直しているらしい。


言われてみれば、確かに思い当たる節は多々ある。


特に夏織ちゃんは、“惚れ直しポイント”のカタマリみたいな存在だ。


今更これを語り出すと生命がいくらあっても足りないので割愛するが、まぁ、“同胞”たる諸兄ならば言うに及ばぬであろう。


夏織ちゃんを好きになったきっかけを思い出せないことは生涯の不覚であるが、

だからこそ、僕は何度も夏織ちゃんに恋することができるのかもしれない──なんて思うことも少なくない。


あぁ、惚れ直すといえば、昔──多分、夏織ちゃんが大学生になったかどうかくらいの頃、「恋愛リプレイ」というスマホゲームに出演していたことを、今、ふと思い出した。


ゲームのタイトルもそのまんまなので、夏織ちゃんとの思い出として一つ、語っておこうか。


当時はスマホの容量とかもちゃちなもので、僕はインストールすらできなかったが──たまにTVのCMも流れていたものだ。


ぼんやりとTVを見ていると、急に夏織ちゃんの声が流れて「うーん、キャリさん、好き!」なんてしょっちゅう思っていた。


「本当の彼女じゃなくてもいいから」

「このままはなれたくないな」


15秒のCMで、たったふた言だけ流れる、切なさに溢れる夏織ちゃんの声。


2012年の僕は、やはり夏織ちゃんに恋をしていた。




…僕は時折、このようにして──夏織ちゃんとの思い出を振り返ることで、

どうにかして彼女を最初に好きになった瞬間を思い出そうという試みを繰り返している。


ちなみに、2011年の夏クール時点でアニメ「まよチキ!」にゆいかおりが揃って出演して歓喜したことは記憶にあるのだが、

僕がちゃんとゆいかおりを聴き始めたのは2013年リリースの「Shiny Blue」だ。


その前からStylipSも聴いていたものの、1stシングル「STUDY×STUDY」は2012年リリース。


いずれにせよ「まよチキ!」放送よりも後になる。


ここに謎の矛盾が生じており、これが解けない限り僕は永遠にその瞬間に立ち返ることはできない。




さて、前書きもそこそこにして、そろそろ本題に戻ろう。




2023年8月6日日曜日、時刻は21時06分。


これまで約12年間、石原夏織ちゃんを好きであり続けた僕は。


これまで約12年間、石原夏織ちゃんに何度も惚れ直してきた僕は。


今までで最も強く、深く──彼女に恋をした。


そんな結論だけを先に置いて、ライブの振り返りへと進む。






2023年8月6日日曜日、時刻は15:05。


東京は渋谷。天気は晴れ時々曇り、あるいは突然の豪雨。


傘を差すのも億劫で、僕はずぶ濡れになりながら会場へ向かう。



夏織ちゃんの誕生日&アーティストデビュー5周年をお祝いするトレーラーが何度も通過する。

余談だが、新曲「Paraglider」をライブまで聴かないように務めていたフォロワーがトレーラーにネタバレを喰らっていてクッソ面白かった。



会場で、いつもの面々や初めましての方、フォロワーでもなかったのに何か顔見知りだった方とか、まぁ色んなファンと挨拶。

毎度のことながら、こんな僕みたいなやつを見つけて歩み寄ってくれる各位には感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。

マジでいつもありがとう。これからもよろしく。



16:30から入場開始。

開演の17:30になっても、なかなか場内アナウンスが流れない。

どうやら、入場列を捌くのに手間取ったのか──20分弱くらい押したところで、ついに幕が上がる。



…そんな前置きまでしておいて大変申し訳ないのだが、
ここに来て毎度のごとく注意喚起をさせてもらう。

はっきり言って、この先にセットリストの解説とか、演出の考察みたいな、
第三者が読んで学びや発見を得られる情報は一切ない。

僕にとってブログとは、感想文のようなものだ。

そこにあった事実を連ねるのではなく、それを通して自分が何を感じたかを重視していきたい。

なので、まぁ──ここまで付き合ってくれた各位には申し訳ないと思いつつ、
それでも許してくれる物好きは最後まで付き合って欲しい。





ここまで長々と(でもない気もするが)言葉を並べてきたものの、
大半の読者には「なるほど、こいつはとりあえず石原夏織ちゃんのことが好きなんだな」くらいのことしか伝わっていないのではなかろうか。

そうだ、それでいい。

強いて付け加えるならば、“これまでの約12年間で今が一番”石原夏織ちゃんのことが好きだ。

さっきから好き好き言ってばかりで身のない文章が続いているが、
結局のところ、僕にとっての夏織ちゃんはヒロインなのだ。

何だかひどく観念的な話をしているようにも思えるが、構わずに続けさせてもらおう。


「ヒロイン」という表現について少し補足をしておこう。

これはあくまで僕にとっての感覚的な話になるが、
ここで言う「ヒロイン」とは、「アイドル」とは明確に区別される存在である。

もちろん夏織ちゃんは超がつくほど可愛いし、「夏織ちゃんは自分にとってのアイドルなんだ」というファンを否定するつもりなど毛頭ない。

というか、そもそも僕のアイドル的な魅力を称えた上で敢えて「ヒロイン」という言葉を宛てている。

じゃあ僕にとっての「アイドル」とはどういう存在なのか、それは前回の記事に概ねのヒントがあるから割愛するとして、
今度は僕にとっての「ヒロイン」とはどういう存在なのか、という話になる。

この感覚が明確になったのは今回のライブによるものだが、
その発端は恐らく6年前まで遡ることになるだろう。

2017年の夏といえば、多くの石原夏織ファンにとって喪失の季節であったことと思う。

ゆいかおりの音楽活動休止と、「ゆいかおりの実」ラジオの終了。

夏織ちゃんに関するあらゆる情報が途絶え、巷では引退の噂まで流れていた頃だ。


時を同じくして開催されたアニサマ。

毎年、当たり前のようにいたはずの彼女がいない夏。

EDでは、出演者全員が並んでその年のテーマ曲を歌唱する。

ほんの2ヶ月前まで“相方”だった小倉唯ちゃんの隣に立っていたのは、当時同じ「トリニティ」の一角として絶賛売り出し中の水瀬いのりだった。

去年までとは全く意味合いが変わってしまった、青とピンクのサイリウム。

その光景を目の当たりにして、僕はただ、彼女に会えない寂しさだけを噛み締めていた。



もしかしたら、これまで幾度となく述べてきた「僕はいつから夏織ちゃんのことが好きなのか」の“本当の答え”は、12年前ではなく、ここにあるのかもしれない。

それまでゆいかおりという声優ユニットのファンだった僕が、夏織ちゃん個人への想いを明確にした瞬間の一つは、間違いなくここにある。

それは、世間一般が定義する「恋」とか「愛」みたいな感情と呼んで差し支えないだろう。

夏織ちゃんの笑顔を見たい。

夏織ちゃんの声を聴きたい。

僕が夏織ちゃんを応援するモチベーションは至ってシンプルだ。

曲が良いとか、ライブが良いとか、もちろんそういう面も大事なのだけど、それ以上に──本当にただただ、夏織ちゃんのことが好きなのだ。

夏織ちゃんのことが好き。

だから、僕にとっての夏織ちゃんはヒロインなのだ。





以上、僕は石原夏織ちゃんのことが好きだという話。

強いて付け加えるならば、僕は“これまでの約12年間で今が一番”石原夏織ちゃんのことが好きだという話。

ではまた。





…という感じで締め括ろうと思って、ふと気づいた。

こいつ、ライブのこと何も書いてなくね?

いけないいけない、ガチ恋オタクを拗らせすぎて、主題に触れるのをすっかり忘れていた。

よし、それじゃあここから僕の文才、その全てを駆使して、最高にCoolでいかしたライブの感想をまとめてやるぜ。

よく聞け。




石原夏織×生バンド=最高




はい決まった。完璧。文句の付けどころもない。



では、上手いこと話がまとまったのでそろそろお別れ。

またどこかで会いましょう。