先日行いました勉強会でもやりましたが江戸の範囲について

江戸ってどこからどこまでをいうかよく分からないという人も多いはずです

元は平川河口の湊町だった江戸は、家康の天下の総城下町となってから拡張を続けます。幕府がここからここまでが江戸の範囲であると示した見解が以下の図です


東京ネイティブが語る東京の魅力-1
(画像はクリックすると大きくなって見易くなります)
黒い線が墨引きです。これは町奉行所の権限が及ぶ範囲。赤い線が朱引きで、この範囲を御府内と呼ぶと定めました。

墨引きは山手線より少し広い範囲。朱引きは江東区から北区、板橋区、品川の先まで入るかなり広い範囲になっています。

この範囲内が江戸の市街地で、江戸っ子が居たのかというとさにあらず。これはあくまでの行政上の範囲で、江戸の市街地はもっと狭くて旧東京15区の範囲内。その先は純農村でした。意味合い的には江戸市内の範囲というよりは首都圏と言った意味合いに近いのではないでしょうか。

朱引き墨引きの範囲に入っているからと言っても池袋の生まれ、新宿の生まれで江戸っ子とはならないのです。

江戸が拡がる契機は家康入府後は明暦の大火で寺社や街が郊外に移され拡がったことや、明治以降には関東大震災以後に郊外がどんどん開発されていくなど災害がきっかけになっていることが多いですね。

行政上の江戸の範囲がわかったと思いますが、明日は江戸市街地の範囲を書こうと思います