昨日は行政上の江戸の範囲を示しました。今日は江戸っ子の住む、実質上の江戸の範囲を示したいと思います。

明治時代に入ると江戸は東京市になって15区が制定されました


東京ネイティブが語る東京の魅力-2
麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、浅草、下谷、本郷、小石川、本所、深川の15区です。いまでいう千代田区、中央区、港区、新宿区の一部、台東区、文京区、墨田区の一部、江東区の一部です。

これがおおよその江戸の市街地であり、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区。芝区が江戸の中心市街。本郷もかねやすまでが江戸の内と呼ばれたように、今の本郷三丁目あたりまでが江戸の市街地で、郊外との接点の場所でした

麻布なども緑の多い、武家屋敷がたくさんあった山の手の郊外であり市街地と郊外の接点であったのです。

よく山の手、下町という言葉が使われますが、山の手、下町は言葉のルーツからもこの範囲内にあるべきで京橋区、日本橋区、浅草区、本所区、深川区の全域、神田区、下谷区の大半、芝区の一部を下町といい、それ以外の場所を山の手といいます

ですから葛飾柴又が下町であったり、世田谷や目黒が山の手であるのは本来の意味から考えたらおかしいのです。

江戸っ子が闊歩した江戸の市街地の範囲を御理解いただけたと思います